湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

この美徳からの卒業―布色で読むドラクエ11②

 この間「明日朝早いからよ」つって力尽きた記事をけっこう読んでいただけましたので、

homeshika.hatenablog.jp

予告通り上記事をふまえまして、中ボスの人のおもしろ服について少しお話ししましょう。

上の記事も「紋章の話の前に軽く書くか~」て言っててああなったので別記事に立てときます。

 

道化

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 中ボスの人のおもしろ服は、特にカワイイ切れ込み(スリット)で縞模様になったパフ・スリーブ、ギザギザの大きな襟、垂れ飾りなどから、デザイン的にはシルビアさんと同様にピエロ的な印象を与えます。

先日の記事で述べた通り縞模様/ピエロ的服装は社会からの逸脱や疎外を表す悪魔の烙印であり、かつ革命と独立を表す特殊な構造です。

 すこし余談な例ですが、『ペルソナ5』にも似た局面の似た色彩の人間中ボスの人がいて、彼も縞模様であるとのこと(プレイしたんですけど画面が暗かったので聞いて知りました)。彼の場合は少し意味が異なって、『ペルソナ5』が中世ではなく近世~近代フランス的モチーフをとっていることからも「従属」「監禁」を意味する縞模様とみるべきでしょう。

 シルビアさんの歓呼のされ方には檻の中のパンダ的な意味合いも入っていると先日述べましたが、縞模様は現在でも踏切とかに使われているように「禁止」や「封印」の記号としてはたらきます。囚人服や水着や下着に縞模様が多用されるように、つまり中心的な意味として、縞模様は「その面の内外を隔離し、片側をもう片側から守る」表示だということです。縞模様があるとき、そこには牢屋の格子、檻があるのです。しかしおとなしく牢に入っていてくれるものではなく、その檻の存在はまた、「勇者」が「悪魔の子」である、という問いのように、縞模様をつけている者と、見ている我々と、いったいどちらが檻の中にいるのかという不安な問いを発生させます。そして多くの場合、不自由で従属的なのは縞を見てはっとした者のほうであり、縞をつけている者は軽快に運命を追いかけるのです。

見る者の視点と考え方に転倒やめまいを起こさせる存在として、ピエロ=道化は古くから機能してきました。またペルソナ5の例になりますが、権力に反逆する主人公のコードネーム「ジョーカー」は当然トランプゲームのワイルド・カード(ペルソナ3~5では『ワイルド』のカードとは主人公の特別な力を表す言葉です)に由来しています。ジョーカーのカードには白黒の縞や市松模様の服を着た「道化」が描かれていますね。道化はサーカスで人を笑わせる職業人である以前に、常識を転覆することができる特殊能力を持ったある種の超人、専門職として王者のそばに仕えるものでした。

道化になるにはマジモンの狂人やそれを演じる者、障碍者たちが珍重され、なぜそういうフツウの社会では敬遠される(縞模様をつけられる)者が王者のそばに仕えて給料をもらっているのかといえば、「滑稽で笑える」という差別的な理由以上に「王者が間違ったことを言ったとき・宮廷の雰囲気が悪化したときに、『おかしい』道化だけが何を言って周りを笑わせても許され、王者は偏った方向を修正することができる」という政治生活的に重大な機能があったからです。つまり「王様は裸だよ」と言う人間が必要だということです。

シルビアが縞模様のピエロであることがすでにドラクエ11のテーマの限界を突破していることを表していると先日の記事で述べましたが、この「王様は裸だよ」がドラクエ11の世界の中で重要な突破口なのだと示す例が他にもあります。ホムラの里のテバ少年です。子供もまた、社会の中で道化と同じ機能をします。テバ少年の母は里の英雄・ヤヤクの秘密を目にしてしまい、ヤヤクによっていけにえに指名され口封じをはかられてしまいます。テバ少年はヤヤクを嘘つきとののしり皆の前で真実を言うのです。その場では「だまれ小僧おまえにサンが救えるか」的な一喝を受けて勝てないのですが、過ぎ去りし時を求めたあとは運命が収束したのか、ヤヤクのほうから主人公たちに悔恨と真実を打ち明けてくれて、事態はハッピーに済みました。道化の活躍によって、王様は「うすうす気づいてヤバいと思ってたけど、わし実は裸なんだわ、だれか服たのむ」と言うことができたのです。

 デルカダールでは王様は裸というかモヒカンだったわけですが、悪いモヒカンが取り憑く前のデルカダール王や、英雄として持ち上げられるグレイグに、「王様は裸だよ」と言ってあげられる人間はいたのでしょうか。いたとすれば、そしていつしか言っても無駄だと諦めてしまったとすれば……。

中ボスの人の吹っ切れたおもしろ服は、赤を除けば主人公の服の色彩と同じです。

 

白ワントーンきれいめ、タッキースタイル

 構成色を見ていきましょう。メイン黒、赤の縞のラインです。

グレイグの私服の色遣いと並べ方は(本人がそういうつもりもなく着ているのもあって)普通にださくてやばいやつなのですが、こういう悪趣味感のある多色の組み合わせやビビッドな縞を「あえて」使うのを現代のファッション用語では「タッキー」スタイルといいますね。

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 魔城のデザインをロウおじいちゃんがクソミソに言ってることからしてああいう色遣いはあの世界的にも悪趣味なもので間違いないらしいよ。

 

 そこに注目するのはまた、彼がもともと「私服は白で統一している」人間だったからでもあります。

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 もともとの構成色はメイン白!、であり、血と命と強さと高貴さと気高さを表す至上の布色・赤は続投しています。彼が騎士として・貴族としての自分と魔としての自分に共通する美を赤には見出していたのがうかがえます。

 最も問題になるのが、「純白の軍師」とも呼ばれ私服を白で統一しているまじりけのなさです。白ワントーンきれいめコーデです。確かにデルカダールやダーハルーネで会うホメロスの姿は、見た目は非常に清冽で印象的です。主人公たちを「ドブネズミども」と呼ぶように潔癖さを(お口は汚いが)あらわしており、事実白は汚れを寄せつけぬ貴族的な輝きを強く示す色でもあります。

 白ワントーンきれいめコーデからのタッキースタイルへの転換はファッション用語上考えられる限りもっともショッキングなイメチェンのひとつです。しかし、実はこのような転換はごく最近現実のファッショントレンドに起こったことでもあります。それは「ノームコア」からタッキーへのトレンドの移り変わりです。

ノームコアファッションとは「究極の普通」を意味し、アップルの故ジョブズ氏みたいな、いつも白とか黒とかの無地でベーシックな形の服、あるいはジーンズを着てるといったものです。スタイルがいい人、自分自身という素材を見せたい人にはシュッとはまり、機能的で清潔感があり、またアップルの提唱するミニマルで無駄がなく暮らしやすいライフスタイルに合致した服の着方です。

ホメロスのもともとの私服はおそらくノームコアと言うにはきれいめだったと思いますが、シンプルで清潔で無駄がなく、彼の属する社会階層を表示する機能的なものだったことになります。そして「シンプルで無駄がなく何者であるかを表示する機能」をもっていることに関しては、ドラクエ11世界の一般民衆がしているコーデの多くもそれにあたるわけです。もともと、生きていくのに最適化された服というのはノームだということです。

タッキーファッションが流行した背景には、ノームコアへの反動があります。

ノームコアムーブメントは、ライフスタイルの洗練とファッションのシンプル化を巻き起こしました。それにより、ユニクロをはじめとした無地デザインやノンロゴのブランドが大きく売り上げを伸ばした一方で、大きなブランドロゴがアイコンだった「アバクロンビーアンドフィッチ」が経営的に大ダメージを受け、倒産寸前になるなど社会的にも大きな影響も及ぼしました。

しかし、シンプルな服装で個性を表現するには、本人によほどの魅力が無ければ難しいので、結果として誤った解釈である「ファッションについて何も考えない」という人々を生み出しました。

すると、満足できないファッショニスタたちは個性の表現として、色彩の激しい色使いやアニマル柄などの「きわどい」ラインを攻めるようになりました。それが、タッキーファッションの勃興です。

 

超上級者たちの遊び「タッキー」ファッションとは何だったのか? | スニーカーナビ!

 誰かのルールにしばられたくはないの

 わがまま ドキドキ このままでいたい

 ファッションモ~ンスタ~! ファッションモ~ンスタ~!

 このせまいこころの檻も! こわして自由になりたいの!

 なあホメロス! 

 自らが何者で世界に何をしていきたいのかについて、上にいて支配し守る者たちと下にいて無力に守られている者たちの固定と断絶について、考えず満足しているのが当たり前である世界に、

ホメロスはタッキーを突きつけてみせたのです。

homeshika.hatenablog.jp

 ↑はイシの村は上とか下とかから自由だよということを読み解いた記事ですが、そういえばエマも相当自由な色のカッコしてますよね。エマのワンピースの色は先日の色の記事の中世ヨーロッパ基本色のどれにも属さない、しかし空と海と世界の美しさの色としてドラクエ11の中でたまに使われています。

 

真実と愛と道しるべの光

 ホメロス(白)の構成色の白・のみ、そして長くまっすぐな金髪ですが、全く同じ色彩を我々はメインキャラに見出すことができます。

 そう、かのパーフェクトヒューマンベロニカ先輩ですよ。

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 ベロニカ先輩の項で述べた通りバキッとした赤と白という組み合わせは至高の気高さと輝きを表す色であり、加えて長くまっすぐな金髪は真実、あらゆる美徳、永遠性、乙女や青年のきわだった美しさと能力のあることの象徴です。

 中ボスの人は主人公一行にベロニカの幻影を見せて恨めしげなアテレコをすることによって動揺をさそうのですが、実はベロニカとホメロスは本当に似たものであり、色以外にも相似な点が多くあります。

 双子とみられ、親もなくラムダに下された赤ん坊であった彼女たちに本来「姉」も「妹」もないはずなのに「ベロニカは姉でセーニャは妹」が当たり前であるほどにセーニャはいつも天才ベロニカの後ろをついて歩いていました。突然同じデルカダール王の養い子の境遇になり、故郷や家族が滅びたPTSDに泣くグレイグをなんでもできる神童のホメロスは世話し先を行ってみせたということで、おそらく子供のころはホメロスのほうがベロニカと同じような感じで「兄」のようにしていたのでしょう。

 留学を経て長じてからは、知っての通りグレイグは2メートルになり、めきめき強くなり、メチャクチャ期待と人気を寄せられ、その中身がどういう意味かはそれぞれの解釈となりますが、とにかくホメロスはそんなグレイグに握手をスルーされてズーンだったのです。ベロニカにも実は似たことは起こっています。離れ離れになっている間にベロニカが縮んだのです。これは相対的に言えばグレイグ(セーニャ)が伸びたのと同じことです。迎えに来てもうたた寝してて起きないし。しかし、ベロニカはズーンしません。なぜベロニカがズーンしないのかが、ホメロスの道筋を考える一つの要素になるでしょう。

 

 ベロニカがいつもセーニャを導き愛し、その魂を与えたように、今がどうであれ、ホメロスの光の色はグレイグにとって導き愛してくれるもの、魂に与えられた栄養であり、彼の中の真実で黄金なる存在だったのです。

 黄金は愛と永遠と真実です。甘い蜂蜜の夢です。だから、中ボスの人スタイルの髪は、黄金でなく褪せていなければならなかったのです。

 

黄金の鷲

 このあたりで中ボスの人の色の話は終わりになりますが、黄金といえばでっかいものがありますね。デルカダール王国のシンボルであり、像にまでなってる(ということは国章や国旗には珍しいことです)黄金の双頭鷲です。

これはロトのマークが「とりさん」であることもあり、ドラクエ11の中で単に敵国のマークとしてだけでない大きめの扱いをされているようにおもいます。もともとこの色の話も各キャラの紋章の話をしようとしての前提話だったので、せっかくピンズの中にもあることですし次の記事でついでにちょっと話そうかなとも思っています。

実際の歴史上の双頭鷲シンボルにも言及することになっちゃうから文字数多くならないように軽~くをこころがけたい

(大抵無理)

覚醒の布―布色で読むドラクエ11①

 前回の2つの記事で「ロトのしるし」(=ロトの紋章)について話したので、

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次は今度出るゴージャス何?とかについてくる各キャラクターのピンズの紋章について西洋紋章学をふくめて読むよ~☆みたいなことを言ったのですが、

紋章の描画のカタチの前に、このピンズがついてるじゃないですか。

store.jp.square-enix.com

 ハァーッ! バチンバチン!

 

色彩豊かな中世

 いったい何をセルフビンタしているかというと、前回記事でロトの紋章の話をした、かつ日本人である我々にはぱっとイメージのしづらいことではあるのですが、

西洋の紋章とは、基本的にカタチよりも色の組み合わせを優先して考えられるものなのです。なぜなら目的が戦場で指揮官を判別するためで、盾をはじめとした軍装に遠くからもわかるようにでかでかと表示しなくちゃだからです。日本ではそれは旗色や馬印でやるので。

つまり、読売ジャイアンツでいうと、日本の家紋の役割は帽子についてる「GとYを組み合わせたマーク」に近く、

西洋の紋章の役割はユニフォーム全体の「い地にい字とアンダー、橙色のライン」という色づかいによるチーム見分けの機能に近いということです。

 もちろん時代が下っていくにつれて色の組み合わせだけじゃなくて周りにガンガン絵が増えていったりするわけですが、本来の西洋の紋章っていうのはそうです。だからロトの紋章とか今回のキャラエンブレムみたいにシルエットデザインになってるやつはカタチこそ西洋の大紋章に似てますがかなり日本の家紋に近いですよね。

 その紋章のシルエットデザインの話はまた今度するとして、なので今回はまず「キャラクターを示す色」の話からしたいと思います。

ドラクエ11のキャラは中世騎士の盾や軍装のような表示をしてないので、服の色に表れるわけです。実際さっきのピンバッジも半数以上は服の色になってますし、服の色=イメージカラー=キャラクターの性質というのは日本人ならば戦隊もので刷り込まれているフィクション読み取り文化ですね。

 

 しかし西洋では戦隊ものとかよりずっとずっと古く、着ている服の色が人間の性質を表すという強い観念があるのです。西洋絵画の読み解き(図像学)の一番基本、基本であるのであんまりあえて語られないくらいの基本は人物の服の色です。たとえばルネッサンス以降、鮮やかな青い衣の婦人は聖母マリアを表すことが多く、そこから貴人たちがこぞって鮮やかな青い衣をまといたがったため、貴人の肖像にも増えていきます。

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 古代(ローマ時代)には色彩は白・黒・赤くらいしか積極的に使われてこなかったのですが、中世はゴシック様式の教会のステンドグラスにみられるように、多様な色が認識され、庶民にいたるまでさかんに使われました。ゴシック様式ローマ帝国衰退の一因になった「ゲルマン民族大移動」でローマ帝国の領域に流入してきたゴート族の得意とした建築です。よく古代ローマ帝国の栄光や叡智が失われた「暗黒時代」とか言われる中世ですけど、それに反してロマネスクからゴシックに変遷してヨーロッパの色彩は豊かになりました。注意しなければならないのは、この中世の色彩の豊かさは現代のヨーロッパとはものすご~く違っているということです。

 現代のヨーロッパ発の、特に男性フォーマルファッションを思い浮かべてもらいたいのですが、だいたい白黒ですよね。現代日本でもメンズのドレス系ファッションといえば白と黒をベースにしろというくらいです。これは中世から近世~近代にいたるまでの宗教改革、とくにプロテスタントの禁欲的な勢力によって「色つきの服(という表現自体がモノクロ印刷によるプロテスタントの拡大を示しているんですけど)を着るなんてけしからん、とくべつな染料を使わない布を着なさいよ、黒とか」という文化が広まったからです。それで現在のヨーロッパのこざっぱりとしたファッションの基本である、黒・白・グレー・ベージュが確立したのであって、それまではもっとカラフルな服がふつうでした。当たり前じゃないんだねー。

 つまり、

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伝統のピチピチ☆バニーちゃんスーツ。こういうのとか

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こういうののことですよ。(これは当方のドラクエⅩのキャラです)

 中世ではこのように、胴の身頃をセンターマンにしたり、互い違いにしたタイプの服がいっぱい用いられました。そのうえで、高貴な色があったり、純潔な色があったり、神聖な色があったり、怪しい色があったり、ときめく色があったり、卑しい色があったりして、まとう人間が何者かを主張したり、あるいは服の色によって階級がはっきりわかったりしたのです。つまり日本のえた・ひにん非差別階級とされた人々が江戸時代に絹や木綿の服やカワイイ色柄を着て人前に出るのを禁止されたように、「おまえはこれを着なければならない」「これを着てはいけない」という(ときに暗黙の)差別ルールがあったのです。

階級がはっきりしてることに特徴があるデルカダールの都でも、公式設定では言われてないですが衣服の色に明確な傾向がみられます。

調査員が見てきた限り、デルカダール地方では属する身分や階級が色で明確に区分されているように思える。それは最上位の貴族の紫、上級市民の赤、一般市民や騎士の濃い青、下層の薄い青や緑色といった案配だ。

ドラゴンクエストⅪ 超みちくさ冒険ガイド

たとえば中世ヨーロッパ社会で「黄色」はあからさまに忌み嫌われ、これを着てるやつは物語の中でも卑しいやつか嫌なやつです。さらに、同じような色でも鮮やかさなどで意味合いが異なってくることもあり、たとえば濃い青は聖母マリアなど聖性や敬虔さを表すのに対し、「薄い青」はローマ時代「ゲルマンの色」として異民族の色だと卑しまれ、好まれませんでした。

 さっきから何を言ってるのかわかる?

 

 

戦士の青・やべえ奴の黄色―グレイグ

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これのことだよ!!!!

 

 はい、まずは当方に「デルカダールメイルってかっこいいんだなあ」と貴重なことを気づかせてくれた衝撃の色彩から見ていきましょう。構成色はメインが薄青くすんだ青黄色です。

 市松模様に関してはシルビアさんなどが終わった後にまた言及します。

 

 先程述べたように、青というのは扱いがいろいろ変わってきた色です。今は聖性や敬虔さのある色としてみられ、これが騎士たちが着ている服の青に反映されています。ドラクエ8でもそうでしたが騎士は騎士修道会で活動や修行をする者のほか、神の秩序の守護者であることを誓う者なので青っていうのはイメージに合っているわけです。しかしそれは後ろのデルカダール兵のサーコートの青のことであり、これを「輝く青」とか言います、グレイグおじさんのチュニック(騎士などの着る貫頭衣)の青は違いますよね。この薄くくすんだ感じのブルーグレーみは古代ローマ時代に嫌われたゲルマン青の印象に分けられるとおもいます。実際こう、感覚として、デルカダール兵の青に比べてあんまカッコいい色じゃないよな……。

子供のときも似た色の服着てますけど、日本的感性からするとなんか男児っぽいし。

まあ王侯や指導者階級としての騎士よりも、古代ローマにおけるゲルマンのほうが「(地位ゆえではなく)戦う者」であるわけで、そういった意味で将軍の権威を脱ぎ捨てたグレイグおじさんにはふさわしい色です。

 しかし一番問題なのが黄色いアンダーなんだよ。

 黄色は、日本というか中華文化圏ではむしろ高貴な色という方向で一般民衆に避けられてきました。だからちょっと感覚が違うし、ドラクエ11でもプワチャットやドゥルダなどの東洋的文化に関係することなどは東洋読みをすべきなのですが、グレイグおじさんは明らかに西洋なので言っちゃうと黄色はヨーロッパ文化でもっともきちゃない色です。ヨーロッパの色彩象徴学の基盤となる書物『色彩の紋章』をみると、

問 もっとも汚い色は何色か?

答 タンニン色である。

―シシル (著)、伊藤 亜紀 (翻訳)、徳井 淑子 (翻訳)『色彩の紋章』

 タンニン色ってどんなか!?

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 まあそういうことですよ ドゥルダの僧侶たちの黄色い衣も仏教の糞掃衣、すなわちうんこ拭くぐらいしか使い道がなくなった布を縫い集めて衣服にしていたことに由来するわけですからね、黄色は本来的にはきちゃなくてダメな色なんだな。戦隊ものでイエローがカレーキャラになりがちだったのもうなずけるというものです。

 グレイグおじさんはこれなど私服全般を支給されたやつをそのままずっと着てるという設定なので、デルカダールの人間のサイズからは際立ってでかいし、とりあえずサイズがなんとか入るやつを選択肢なく渡され(ピチピチである)、おかしい色でも全然頓着していないという抜け作であることがうかがえます。

 こういう「橙」より「からし色」みたいな黄色の服をこんな面積で着てるキャラクターは他にいない(セーニャの腰布、ロウのボトムについては後述します)ので、もし中世ヨーロッパで黄色が嫌われてることを制作側が意識して考えてなかったとしてもやべえ色として使われていることは確かそうに思えます。

しかもこの薄青のチュニック、なんか洗いまくってこうなったみたいな色してるようにも見えます。高位の階級の者がデルカダール王の赤!紫!白!のように輝く色をまとえるのは、落ちにくく鮮やかな高価な染料のものを、落ちてきたら新しいのに替えるからです。おまえは高位の階級の者なんだからもっといい色をまとえ。

逆に言えば、くすんだ色、あせた色、白くも色がついてもいない布は低い階級のしるしだということです。

 

くすんだ青緑―カミュ

 スクショを探してコピーライト入れての作業が面倒になってきたので、以降だいたいの色の要点の絵でいきます。

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  くすんだ色といえばカミュ兄貴です。構成色はメインくすんだ緑くすんだ赤です。

 実はグレイグおじさんを除くパーティーメンバーの中で、白・黒・そして先程述べた「輝く色」以外を身に着けているのはまったくカミュだけです。首飾りさえくすんだ色をしています。くすんだ色は卑しい身分の衣服を表し、デルカダールの下層民にもくすみ緑が多いことはみちくさガイドでも調査されている通りです。王族・貴族・大樹の申し子というパーティーメンバーの顔ぶれの中で、唯一カミュが生まれ育ちのきらきらしくないことを示しています。

 カミュは最初このくすんだ緑のフードをかぶって現れ、カミュが与えて主人公が装備することのできるたびびとのフードもうっすらと緑がかった灰茶をしています。これらの色は安っちくて下級な色であるとともに、現代の軍隊の野外作戦で使われる迷彩柄と同じ色彩であり、見つからないように身を隠すのには最適の色です。ここは同じ卑しい色でも黄色とは大きく違っています。黄色はもっと積極席に奇妙キテレツさを目立たせていく方向です。

下級な色下級な色って失礼なこと連呼してますが、下級な色は同時に、現代的には「あえてそういう渋い汚し感のある色を着ている」という粋なカッコよさにもつながってくるわけで、スーパーイケメンにも違和感がありません。

 このような理由で、くすんだ緑は育ちがよくなくて盗賊であるカミュを表すに適した色であり、また、この色彩の盗賊カミュが相棒であることによって、日の当たる市中を歩きにくいお尋ね者となった主人公の境遇を常に意識させることができるのです。

妹とともに暮らしていたころのカミュは妹とそろいのわりと明るいはっきりした色を着ていることから、くすんだ色を着ているのは手に入らないからというよりも、盗賊をやっていること以上の彼の心の後ろめたさを隠すものかもしれません。

 紋章のカラーも、緑イメージのやつらが多いため「くすんだ青緑」になっていますが、これもまたくすんだ下層の色味であり、かつ、北国の海の色です。

 

輝く―セーニャ、ベロニカ

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 カミュのくすんだ緑・赤に比べてバチッとした緑・赤を身につけているのが双賢の姉妹です。バチッとした「輝く色」をまとっていることは気高さや育ちのよさを表します。それだけでなく、彼女たちはふたりでひとつの大樹の申し子であり、紋章の図柄を見ても枝葉のセーニャ花のベロニカという植物的セットになっています。

この色がエプロンドレスでは逆転するように、ふたりのイメージカラーはこのふたつがセットです。緑と赤はまた補色の関係にもあり、紋章およびスキルパネルの相補的な図形からみてもふたりが真逆でありながらひとつであることを示しています。

 セーニャの構成色はメイン深緑黄色、白です。黄色かよ!ヤベーやつじゃん!となりそうですがセーニャの黄色の意味については後述します。

 緑は、またマルティナの緑でも違う意味合いが読めるのですが、じつにさまざまな意味をもった色です。というのも緑というのは萌えいづる生命の色であり、したがって中心的には「移ろいやすさ」を表すからです。移ろいやすさにはいい意味も悪い意味もありますよね。

 セーニャの深緑に関しては、先程言った大樹の枝葉の色であり、またドラクエ11世界の他のモブキャラ、メイドや看護師などのケア役割の人間も緑を身に着けていることから、癒しの色としての緑とみてよいでしょう。緑に「健やか」のイメージをもつことは日本の文化の中でもポピュラーですね。

 

 ベロニカの構成色はメイン赤、白のみです。基本的にちっちゃい姿でいることもあり、パーティーメンバーで最もシンプルな衣服の構成をしています。

 この輝く赤というのがたいへんに重要であり、先程引用した『色彩の紋章』でも「もっとも美しく、かつもっとも鮮やかな色」としてこのような赤が挙げられています。赤は布地の色として最も高貴な色です。国旗の色にもよく赤は使われていますよね。日本の旭日旗の赤は太陽のけがれなき光を表していますが、ヨーロッパでの見方は「光」ではありません。

 チビッコのころ世界の国旗暗記カードにドハマリしたことがあるんですが、裏面の解説を読んでて「やたら『〇〇で流された血を表し』て物騒なこと書いてあるなおい」と思ったのを覚えています。日本文化は血と死の穢れをすごく忌み嫌うので、このような物騒なことを言わないというのがチビッコにも無意識の感覚だったのです。しかしヨーロッパは血を忌みません。ヨーロッパにおける赤の中心的な意味は「血」です。

血がなぜもっとも高貴の色という話になるのかというと、古代・中世のヨーロッパにおける王侯貴族とはすなわち戦士・騎士たちであり、領民たちに代わって血を流すことをけっして厭わない者たちだからです。

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貴族の血をブルーブラッドと言ったりもしますが、貴族のノブレス・オブリージュは赤い色をしているのです。ヨーロッパにおいて血の赤とは名誉であり、地位であり、活力であり、護符です。

 現代日本でも、これは実際の甲冑の色もあるのですが、「日の本一のもののふ真田幸村にはだいたいの媒体で輝く赤が当てられます。真田幸村は戦う武士の世とともに花と散った英雄であり、現代日本人はその火花のような桜のような死にざまへの憧れに赤を用います。当然ながら、輝く赤は戦隊もののメインヒーローの勇敢の色でもあります。

ベロニカは体がちっちゃくなることやすごい勝気さで初期にはカモフラージュされていますが、賢く、道理を悟り、人の弱さや情を解し、自らの不完全さに立ち止まりもしない勇敢さと世界への自然な愛を持ったパーフェクトヒューマンです。その迷いも哀れっぽさも見せない自己犠牲はまさに最も気高い赤、花の赤をイメージカラーにするにふさわしいものです。

 

 そして二人ともに共通した色としてがあります。白は当然、純潔無垢、正義、光輝くものを表しています。また貴族のとくべつな高貴さを強く表す色でもあります。何度も言いますがドラクエなどの中世ヨーロッパ世界では9割がたの人はくすんだ色の衣服を着ており、広い面積の白をまとっているのは王族か聖地の人で、特別な清冽さを示しています。

 加えてこの二人は、布の話ではないのですが、長いまっすぐな金髪です。ヨーロッパでは髪の色も(人種差別的なことですが)キャラクターの性質を表示します。たとえばうねる黒髪の人物は悪魔的に醜いと忌み嫌われます。長いまっすぐな金髪は最良とされるシンボルで、すべての美徳と豊かさと神聖さ、永遠性を示しています。これはという鉱物への全人類的な憧れの視線であり、ケルトの英雄フィン・マックールは「金の髪のフィン」というだけでその際立った美しさと能力が示されるのです。

輝くような美しい乙女や青年を描写する際金髪と肌などの白さ必要十分条件です。輝く深緑・赤と白、金色、おまけに装身具の鮮やかな青に飾られた双子はあの世界において私たちが思うよりずっとまぶしく輝く存在なのです。この明るさの中では、セーニャの黄色い腰布も奇妙さの黄色というよりも「金」の側のものとみることができます。

 

王者と仙境の金―ロウ

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 実はそんなセニャ・ベロとほとんど同じ色彩なのがおじいちゃんなのじゃ。構成色は黄色、白とちょっとの黒です。

 ロウおじいちゃんは全体の風体としては旅の商人みたいなかっこうをしているのですが、ここまでの布色の意味からなんか只者ではなく高貴なことが匂わされているデザインだとわかると思います。白いシャツに、輝く赤をまとっているからです。ひげのおじいちゃんが赤と白をまとっていることにはみんな慣れているので、そんなに違和感もおぼえないところがまたナイスです。赤をまとったひげのおじいちゃんこと、聖ニコラウスが赤いのも、赤が高位の聖職者に用いられる色だというイメージに関連しています。

 しかも、ロウおじいちゃんが「よく見ると只者ではない」のは、この輝く赤の上着にさらに金の縁どり模様が刺繍されているところです。「輝く色の地の上に小型の金のシンボルを反復する」というのはすごく良い価値をもった模様であり、この好例がフランス王家の紋章です。

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このような規則的な反復模様は、威厳、聖性、静的さを伝え、さらに金刺繍は高価であるだけでなく先の双賢の金髪で述べたようにあらゆる美徳を表します。つまり金の反復模様はロウが王たる者であることを示すのです。

 ボトムが黄色いですが、ロウにおいてはこれはドゥルダとのつながりを連想すべきでしょう。紋章の色でもある橙~黄色はかの地の僧衣であり、少林寺拳法のようなものを操る謎の老人として登場したときからボトムの黄色は修行僧のイメージとしてはたらきます。

さらに、ロウはユグノア先王ですが、東洋的イメージをもつため東洋での黄色の意味も無視できません。中華文化圏における黄色は皇帝の色として扱われてきたとさっきチラッと言いましたが、中華皇帝の象徴「黄龍」といえば「黄金の龍」のことであり、ヨーロッパのように至上の金と忌避の黄を分けたりしません(ヨーロッパ紋章学では黄色のことを金と呼ぶ。黄色とはけっして呼ばない)。

東洋の長寿の祝いは還暦の赤からはじまり、古希(70)や喜寿(77)には紫、傘寿(80)や米寿(88)には黄色の衣服を贈ります。まあロウおじいちゃんは80代ではないでしょうけど、黄色は長寿によって高貴や神域にたどり着いた色なのです。

 

魔性のセクシーの緑―マルティナ

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 見~つめるCat's eye! magic play is dancing!

 み~どりいろにひか~~ァる!

 実はマルティナの服およびピンバッジカラーが若緑なのはヨーロッパでの伝統的な色の使われ方として見事に正しいのでずっと感心しています。マルティナの構成色はメイン明るい緑、黒です。

セーニャの項でも触れたように緑は「萌えいづる生命」「移ろいやすさ」を表します。さらに、安定して植物的なセーニャの深緑に比べてマルティナの明るい緑は「悪魔的さ」を表すことがあります。

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  映画『MASK』や『シュレック』、また鳥山フィールドで言えばピッコロさんやドラクエXドワーフの肌色にみられるように、緑の肌は悪魔的醜さ異形の魅力を表しています。これは肌の色の話だからそりゃ異様なのは当たり前かもですが、『シュレック』では美女形態のヒロインの服にも艷めく緑色が使われています。

フィオナ姫 衣装、コスチューム 子供女性用 シュレック

フィオナ姫 衣装、コスチューム 子供女性用 シュレック

 

中世の緑も、春に蘇る自然の美しさを代表する色であると同時に、混乱と破壊を表す「悪魔」の色でもある。そしてフィオナ姫のドレスの緑が二人の恋物語を印象づけるためであったとするなら、これまた中世のイメージそのままである。五月の色である緑は、青春と恋愛を示すというのが、中世の緑のシンボルだからである。

―徳井淑子『色で読む中世ヨーロッパ』

緑は中世ヨーロッパにおいては紋章に使うのをはばかられるほどの誘惑の色恋の色であり、だから混乱をもたらす悪魔的なものでもあったのです。さらにマルティナはサブカラーが黒で、黒髪の目立つキャラでもあり、これも双賢の金髪の項で書きましたが悪魔的な意味を匂わせるものです。セクシーの象徴であるバニーちゃんの市松模様スーツにも緑と黒が用いられていることからも、これらが誘惑とセクシーの色として扱われていることがわかります。

 幼少期のマルティナはかわいいピンクのドレスを着ており、その何不自由ない姫君時代から修羅場を越えておいろけの力と魔の力を飼い慣らし強くなる姿を明るい緑の服は表しています。

 そしてポニーテールの赤い髪留めがアクセントとなり、みごとに彼女を高貴の印象にとどめています。

 

逸脱者の縞―シルビア

 混乱と破壊をもたらす悪魔的なデザインといえば、緑以上に強烈で明確なのが縞模様です。

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 シルビアさんのまとう縞模様のチュニックは彼らパーティーメンバーの衣服の中でもっとも目立ち、もっとも強い意味を発しています。もっとも鮮やかな色はだって言ったじゃないかよ!と思うかもしれませんがそれは「色」の話です。「縞模様」は色ではなく「特別な構造」です。

中世西欧には、社会、文学、図像表現によって縞の衣服を与えられている人物――実在であれ想像上であれ――が多数存在する。彼らは皆、なんらかの意味で疎外されたか排斥された人たちである。そこには、ユダヤ人や異端者から道化や旅芸人までが含まれており、ハンセン氏病患者、死刑執行人、売春婦のみならず、円卓物語の中の邪悪な騎士、『詩編』の愚か者、ユダといった者たちも対象になっている。いずれも皆、既成秩序を乱すか堕落させる人たちであり、多かれ少なかれ、すべて悪魔と関係がある。

――ミシェル・パストゥロー(著)、松村剛・松村恵理(訳)『悪魔の布 縞模様の歴史』

 中世の布地の感覚は、ロウの項でも述べたように「地」の色の上に模様の「レイヤー」を層状に重ねるのが秩序だった見方です。そこから考えると平板で途切れのない二色の線が無限に並行し続ける縞模様は秩序ド破壊であり、そして現代の我々の感覚にもわかるように視覚効果として非常に目を引き、かつコントラストの強い二色の縞は目の錯覚、めまいの感覚をひき起します。ものすごく悪魔です。これにはグレイグの「市松模様」も縞ほどでないが入り、じゃっかんの珍奇さをかもしだしています。

シルビアの縞模様のチュニックにはさらに先のとがった垂れ、ポンポン飾りがあり、いわゆる「ピエロ」の衣装に類似させています。現代日本人もピエロが人を笑わせるものでありつつもどこか悪魔的であるという印象を持っているでしょう。

 

 シルビアは、おそらく青い騎士服を着ていた名門騎士のお坊ちゃんであることを捨てて家出し、世界中の人を笑顔にすることを夢みて超一流の旅芸人になりました。指導者役割や社会の固定的な秩序に巻かれて生きることの限界を重要なテーマとするドラクエ11において、これは象徴的な出奔なのです。ベロニカと並びシルビアの人間的完成度は認められていると思いますが、つまり社会の秩序を攪乱する縞模様を着たシルビアは、既にこのゲームのひとつの限界を越えた先にいるのです。

シルビアは全世界的にファッション・リーダーともなっています。またシルビアのキャラクターとしての要点のひとつに「女言葉や女性的なしぐさを使い、『乙女』を名乗るが男性的な騎士の魅力ももち、周りの者もそれを茶化したり変にツッコんだりしない」という「両性性、多様性の尊重」があります。新奇で多様で陽気で寛容なのです。

「目をひく奇抜でしゃれた装い」というのは現代では当たり前によき価値のように見られていますが、中世ヨーロッパ社会のよき市民にとっては異質であることはすなわち罪に結びつき、異質性は否定的な悪魔の価値とみなされたのです。シルビアはスター芸能人として歓呼されますが、それは旅芸人という社会の外にいる存在だから、檻の中のパンダ(実際は社会の秩序のほうが檻の中なのですが)だからというファクター込みのことです。現代とは「旅のスター芸能人」に対する見方が違ったのです。

  ここまできて、縞模様の「悪魔的」というのが現代的に見て必ずしも悪いものではないことがわかったと思います。近世・近代ヨーロッパでもその価値観は再評価され、「既存の秩序を乱す」ことからすなわち革命・独立を表す模様として扱われはじめます。縞はだからこそ目立つことを恐れず大胆で自由なおしゃれであり、動的で軽快なのです。これ↓なんてメチャメチャに目立ちますもんね。

 むしろ、ドラクエ11のようなテーマ性に縞模様の「悪魔的さ」による打破は必要なことであるとさえいえます。

 

「あわい」の紫―主人公

 そこでいよいよ「悪魔の子」主人公の衣装を見てみましょう。

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 構成色はメイン紫、黒、皮の茶色です。

 めっちゃ暗くね

 めっちゃ暗いんですよ。そうなのです。カミュの項でも書きましたが相棒との二人旅のころのお尋ね者感がナイスにかもしだされています。カミュと同じ理由で、また締まった黒のおかげで非常にスタイリッシュではあるのですが、普通に見て主人公の色じゃないよな。

 ふつうに見てめっちゃ暗いという印象はひとまずそのままにして、主人公の衣装については制作側の意図として質のいいベルベットのような紫(とサラサラヘアー)で高貴さを表現したと言われています。紫は日本古来の文化でも黄金色についで高貴な色ですし、これに関しては中世ヨーロッパでも同じでした。両者共通の理由としてパープルの染料を得る貝がら(貝紫)の貴重さがありました。日本では紫の植物染料もあるので、ヨーロッパのほうがより貴重さは増します。だから化学染料モーヴが発明されたときの熱狂は大きいものでした。

 また紫は混色であり、西洋紋章学の基本色は金・銀・紫・緑・赤・青・黒~(下の歌の歌詞です)なのですが、ややムリヤリながら感覚として紫は他のすべての色を混ぜ合わせた色とされ、すべてを持っている豊かさの力を意味します。世界一の大国の王であるデルカダール王、それに取り憑いていたウルノーガのまとう紫です。特に貝紫で染められた衣は古代ローマ帝国で皇帝や貴族の着るものであり、ローマをモデルとしたデルカダールの歴史に沿っています。赤の示す高潔による高貴さよりも、血筋に寄った高貴さを示しているイメージです。

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 しかし、高貴なのはわかったのですが、やはり主人公の色じゃねえ感が否めないのは、この紫がまたあいまいさを表す色だからです。

紫は、当たり前のことを言うようですが、赤と青とを混ぜて作る色です。赤が輝く色であり血と生きている命の熱さと高貴さを表すことは述べてきました。それに対して青は「輝く青」でもなければ嫌われた色であり、寒色で、具合が悪いことや死の側に属する色彩です。相反する象徴を混ぜて作られる色である紫は、心理的にもポジティブな意味とネガティブな意味の両義性をもっています。

 この両義性は主人公が「世界を救う星」なのか「滅びを呼ぶ悪魔の子」なのかという重大な問いに関わってきます。この「悪魔の子」という汚名について、プレイヤーはなんか勘違った王様の妄言と流すのではなくどういう意味なのかよく考える必要があります。シルビアさんの項でも述べたように、この世界において「悪魔であること」は一種の限界打破の糸口なのです。「勇者」という存在が「本当に悪いもの」である側面もあるかもしれず、そのへんについて考えるためには「主人公が暗い色の服で、悪魔の子とか呼ばれる」という価値観の転倒や葛藤をおこしてやる必要があります。

紫と白をまとった聖地ラムダの人々は明らかによいものの見た目に見えます。主人公の服が血筋の高貴さを示すだけでなく両義的な色である紫と黒を組み合わせたのは、カミュという一見不名誉な相棒とあわせて序盤にこの「悪魔の子」という言葉に立ち止まらせるはたらきをします。

 

 

 

 

と、ここまで布色の主張するキャラ役割について話してきて、最後にこれらを総合して表ラスボス一歩手前中ボスの人のおもしろ服について話そうと思っていたのですが、

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(画像はネタバレと人権に配慮して顔のところに構成色を乗せています)

字数がヤバいし明日早いので、この件についてはそのうち気まぐれに追記するということにしておきます。

追記:書いたよ

homeshika.hatenablog.jp

 

中ボスの人と似たような意味合いで私服をおおむね白で統一している照二朗でした

"ロトの子孫"とは誰か②―カインの末裔

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前回記事

homeshika.hatenablog.jp

↑では、「ロトの子孫」が何者なのかについて、「貴い血筋(貴種)」と「天命」の点からなんやかんや言いました。

 ドラクエⅠで勇者がロトの子孫として旅立つが、結局本当にロトの子孫なのかどうかはあえて明らかでない」ことについて、前回の内容をまとめると、

①「選ばれし血筋の者」というのは誰にでも感情移入しやすいエンタメ王道で

②血筋の特別な優位性があってもなくても「天命」はくだることがあり

➂力をもったものが「そうなんです」と言えば血筋の「証拠」は認められるんだよ

 てなところでした。

 後半である今回は、「勇者」つまり「勇気あるもの」の、「しるし」としてのロトのしるしというアイテムについて話していきたいと思います。

 

ロトの「紋章」

 ドラクエⅠで件の毒沼で足にひっかかったばっちいやつを拾ったとき、当方はすぐに「金属製のものが浮いてくるわけないし毒沼に沈んでいたとしたら腐食しているわい」と考えました。前回記事のサムネイルのような、金属製である程度重みのある片手大の平たい物体をすでにイメージしていたのです。

それは少年時代『ロトの紋章』を読んでいたからです。

  このマンガはドラクエⅢとドラクエⅠの間の時代の話で、Ⅰの勇者の子孫がⅡで3つの王国を治めているのとまるで同じように、Ⅲの勇者の子孫が3つの王国を治めているという世界観設定です。

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

 

そのあかしとして、主人公であるカーメン王国の王子アルスは上のようなロトの紋章」のプレートの下半分を受け継ぎ、ライバルであるローラン王国の王子ジャガンは上半分を受け継いでおり、真ん中の赤い玉は地下世界アレフガルド担当の王家が受け継いでいます。この作品ではこうした「ロト朝」とでも呼べる王家の者が勇者の才を持っており、デイン系の呪文を使うことができます。なので血統としても物的証拠としても遺伝的能力としても天命的にも彼らが「ロトの子孫」であることに疑う余地はなかったのです。

 これをすぐにイメージできたため、結果的に理解は速く正確だったのですが、しかしこの知識のゆえに不審に思われたことがありました。

 ロトの「しるし」なんだ……。と。

 ロトの「紋章」じゃないのか!? いや「ロトのもんしょう」は字数制限的にムリだ、だから「しるし」という言葉が選ばれたのです。「ロトのもん」じゃ意味は同じでもわかりにくいから「しるし」はわかりやすい表現ではあります。

 しかし、本当に「しるし」以外に言い方はなかったのでしょうか? たとえばその機能(ロトの子孫であることを証明しキーアイテムを預かることができる)としては「ロトのあかし」のほうがかえってよく示していますし、字数やわかりやすさの点でも問題ありません。ドラクエⅡでは「5つの紋章」も出てくるわけですしね。

 「しるし」という表現が選ばれていることに示唆があるように感じたのです。

 

しるし

 そもそも「紋章」と「しるし」にはことばの意味するところとしてどう違いがあるのでしょうか?

 広義では、どちらも「シンボルマーク」という意味で使われている言葉で、「校章」や「社章」、ロゴデザインなども広く言えば入ります。ドラクエ11Sでも各キャラクターの「紋章」のピンズが一個もらえるセット売りがあり、そのへんの象徴読み解きも今度記事にする予定ですが、あれも実は「紋章」というより「しるし」にあたります。デルカダールの国章以外。

 このゴージャス版の赤いカバーも、ロトの紋章の周りに各キャラクターの紋章がちりばめられるように配置されています。勇者一人ではなく、パーティーメンバー全員が対等に絡み合って世界の調和を作っていることが図示されてていいですね。

 

 ちょっと厳密に言えば「紋章(Cort of arms)」というのは西洋騎士・貴族と日本の公家・武家の者がもつシンボルマークのことです。「家紋」的なものですね。描かれている象徴や体裁で「どういう家格や職能の者か」「どこんちの親戚か」などをある程度読み取ることができ、何より馬装や陣羽織(サーコート)などにつけることで指揮官の識別を容易にします(日本ではこれに加えて「馬印」もありますがこれは「しるし」にあたります)。これのポイントは、ちゃんと出自の読み取りができるようにするために「要点をおさえて世襲する」ということです。『ロトの紋章』はこの意味でちゃんと「紋章」してることになりますね。

 というわけで、「しるし(emblem)」というのは「紋章」のようにしっかり世襲される用法ではないシンボルマークを広く表すことができることばなのです。要はより抽象度と範囲がでかいんだな。

まあ上のアマゾンリンクを見ての通り「EMBLEM OF ROTO」いうとるし『ファイアーエムブレム』も「炎の紋章」と呼びならわされてるわけですから、「エンブレム=紋章」というのは響き的にも日本に定着してることではあるんですけど。

なおのこと「しるし」という言葉は聞き慣れずひっかかるものがある。

 

薔薇の刻印

 「出どころがよくわからない謎のエンブレムではあるんだけど、『強者』や『資格』をあらわす特別なしるしとして機能してるっぽいアイテム」としては、少女革命ウテナに似たアイテムをみいだすことができます。

 「薔薇の刻印」といいます。

 これはアニメ『少女革命ウテナ』の主人公天上ウテナが「子供のころに"王子様"にもらった」とされている薔薇のエンブレムが入った指輪で、彼女はこの指輪をよすがとして、憧れの王子様のごとくなろうとして気高くカッコよい人間に成長しています。まあ明らかに現実ではない過去話ですよ。現代日本に白い軍服を着た王子様がおるわけないやろ。だからこれは最初からトトロにもらった木の実レベルに謎の物体です。

 それだけでも夢と現実のはざまにある物体だというのに、なんとこの指輪、持ってる奴が複数存在する。それもウテナのように「王子様にもらった」とかの説明なしにです。

ウテナはまったく知らなかったのですが、この指輪を持っている者は「決闘者(デュエリスト)」と呼ばれ(ちなみに遊戯王より古い)、特別な舞台で「世界を革命する力」をかけた剣の決闘をする資格をもつとされるのです。ウテナ以外の決闘者はみな学園を支配する「生徒会」に属し、学園にいるたくさんのモブ生徒たちの中で並外れた才覚と個性を持っています。

 つまり「薔薇の刻印」とは人並み外れた才覚個性をもち、「世界を革命する力」を欲する少年少女に自然発生的に出現するのです。

 また、心の奥の無意識に封じていた正視しがたい感情を喚起することで人為的に決闘者の資格を得る「黒薔薇の刻印」というものもあるのですが、どちらにせよ快適な「普通」をはみ出して痛みを得てでも「世界の革命」を望む者だけに、「薔薇の刻印」はいずこかから与えられるのです。

 

カインのしるし

 先日、「社会の群れをはぐれてでも自分の意思を貫ける強さをもった人間が"悪役"になる」という旨の記事を書きましたが

homeshika.hatenablog.jp

この「"悪役"=群れはぐれ強者説」について、先述の『少女革命ウテナ』のモチーフとなったヘルマン・ヘッセの小説デミアンに独特な説明があります。

 「デミアン」とは主人公ジンクレエルが出会う変わった少年の名です。この作品の背景にはユング心理学グノーシス哲学があり、ざっくり言うと「明るい世界」しか知らなかった子供のジンクレエルにデミアン少年が疑いをさしはさんでいき、光と闇を統合した真実に導いていくみたいな話です。

 ある日ジンクレエルとデミアンは学校の聖書の授業でカインとアベルの物語を習います。ご存知人類最古設定の殺人事件である、農業をやってた兄カインの捧げものと畜産業をやってた弟アベルの捧げものとで神がなんかアベルのほうをひいきしたもんだから、家族仲がこじれ、カインがアベルをガッってやってしまったという話です。カインはもう農耕することができないという呪いを受けてパパママのいる土地を追放になるわけですが、この話には続きがあります。

 当時、世界にはアダムさんちのほかにも、神がアダムさんちを試作品として量産したらしい人間の営むふつうの地が広がっていました。カインはそこをさまよい歩く者となれと神に言われたのですが、それでは行く先々で「あいつ弟を殺したらしいぜ!」と石を投げられて迫害されてしまうにちがいないので、神はカインが殺されないようにしるしを与えた……という筋です。

 この話にデミアンは解釈を加えてジンクレエルに話してくれます。

こういう話は真実だろうが、正しく伝わっているとは限らない。実は、カインは力ある者で、他の人々から恐れられていた。人々はカインが目障りだったが、恐れていたので手出しは出来なかった。ただし、人々はカインに手出しが出来ないのは、自分が臆病者だからだ、とは言わない。自分の臆病の言い訳として、彼には“しるし”があるから手出しが出来ないのだ、と言う伝説を付け加えたのではないか、と。

ジンクレエルは、確かにカインは他人とは違っていたのかもしれないと思い始める。カインのしるしとは、その眼差しに宿る勇敢さ、気高さなのである。そしてジンクレエルは、デミアンにもそのしるしがあると感じた。

(中略)

やがて物語が進むにつれ、このしるしを持つ者とは、目覚めたる者、目覚めつつある者である事が明らかになる。
カインの子孫達は、常識や慣習、権威など、外部からの要請に惰性で従う事をよしとしない気高さを持った者である。
変化に伴う困難を恐れて、現状維持に努める臆病者ではない。内なる自分と向き合い、その本当に望んだ事を成し遂げようとする、気高く、勇敢な者達なのである。

――サトウナンキ『少女革命ウテナデミアン・オスカル・ユングそして賢者の石』  

satoh-nanki.blog.jp

 また、ドラクエⅡ本編でも、これは紋章のはなしなのですが、こんなことが言われています。

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 ロトの「しるし」が狭義での「紋章」とはすこしちがって抽象的なものとするならば、あるいは「ロトの子孫であること」が遺伝関係を絶対としていないとしたら

それは『デミアン』でいう「カインの子孫たち」のように、常識を外れることをいとわない気高さと勇敢さをもつものの、まなざしや額や手にあらわれているかのように見える「しるし」のことのように読めます。

 前編でも述べましたが、本物かどうかなんてほとんど誰にもわからない、ましてそれが血筋を証明するわけがない「ロトのしるし」という物品が勇者の証として機能するのならば、その機能、チカラは持ち主の心の気高さと勇敢さがモノに象徴されたものなのです。

 

「あなたがたはロトの子孫たちですね?」

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 やっぱりわかる人にはわかるんやで

(人ではない)

  この精霊ルビス様の発言を「(子孫たちがロトの子孫だということは)やっぱりドラクエⅠの主人公はロトの血をちゃんとひいていたんだ」というふうに具体的な話の証拠として解釈することもできるのですが、本稿で読み解いてきたように「しるし」が心にあるものとするならば、ルビス様は

「おや? あなたがたは

 気高く勇敢な魂を受け継ぐものたちですね?

 私にはわかります」

と言ってくれていることになります。

 ルビスのほこらは紋章を集めないで行っても特に何も起こらないことからわかるように、

ドラクエⅩの「キーエンブレム」のように「勇敢さとチカラを示してきた行動の結果」を集めることによってこういうアナウンスをしてくれるわけです。

 

 

 前編の「貴種」の説明では、「貴種流離譚」がエンタメとして人気があるべき理由として、「貴い血筋」や「神に選ばれた運命」が目に見えるものや具体的能力値といった即物的なものではないことのメリットを挙げました。すなわち、神秘性があって、「自分ももしかしたらそうなのかもしれない」という想像の余地を用意するということです。

 それをもっと拡大して、「プレイヤー」ということをぬきにしても、「ロト」とは”勇気を示したあなた”そのものを表しているのです。

 そして同時にドラクエをプレイしていた無数の"勇気ある者たち"の魂を共鳴させる「見えざる血族」として、

「ロトの子孫」ということばは事実として機能しているわけです。

 

 

鳥とお魚

 ここからは次に書こうと思っている記事の予告のようになるのですが、

本稿で扱った「ロトの紋章」って、具体的な図案としては「とりさん」を明らかかつシンプルに描いていますよね。

 いや鳥山明って言いたいわけではなくⅢではラーミアさんというでかい鳥が出てくることも承知しているのですが、それでも先に述べたような「勇気あるものたち」の象徴となるシンボルマークに鳥が使われているわけです。

 鳥は「魂の自由さ」を意味し、自由に飛び立つことは一般民衆でいられず強くあらなければならない痛みをともなうことですし、先述の『デミアン』や『少女革命ウテナ』など多数の作品で「目覚めた者」の象徴として扱われてきています。かつ、ドラゴンクエストはビデオRPGのはしりとして、「魂を普段の生活から自由にし、想像の翼をはばたかせる」ことに非常に合致している、みごとなシンボルマークを作ったものだなあと感心するものです。

 そこでさらにおもしろいことに、ドラゴンクエストシリーズの集大成として作られたドラクエ11では、主人公のシンボルが「釣り針」型になっており、また主人公がお魚になる展開など、「鳥」ではなく「魚」に寄った象徴描写になっています。

 魚も鳥と少し意味合いが異なった「魂」の象徴であり、また、実は他の象徴物との絡みもあったり、「鳥」が今度は前半の敵役であるデルカダール国の紋章になっていたりと、なんかハァ~うまいことやったな!ていう織り込まれ方をしているので、

次はちょっと西洋紋章学の話も取り入れつつ、ドラクエ・日本的な文脈におけるそれぞれのキャラクターの「紋章」の話などしたいと思っています。来週もまた見てくれよな。

"ロトの子孫"とは誰か①―天命のしるし

 この間ドラクエの日でセールがあったので、ドラゴンクエストロト三部作をやろうとしていて、いまⅡが終わったところです。

www.famitsu.com

 仲間がいるっていいなあ(サマルトリアの王子が死んでキメラのつばさも買い忘れおっかなびっくり最寄りの町まで歩きながら)。

 

 この記事↓でも書いたように、当方は少年時代、ドラクエに対して「権威ある勇者の血筋に生まれた者が神の出来レースを演じさせられる話でござるか~?」とスネた目で見ていたのですが、なんかその最たるものであるロトの血筋ってやつがなんかけっこう謎めいていておもしろいので、まだ肝心のⅢをやってないのですが思うところを書くものです。

homeshika.hatenablog.jp

 

貴種

 もちろん、当方が斜に構えて見ていたところの「勇者の血筋に生まれた者が神にどうちゃら」というお決まりの王道は、物語としていいものだから王道なのです。単に「能力がある」とかの即物的な優位性とは違い、「由緒ある血筋」とか「神に選ばれた」とかそういうのは神秘的でとてもワクワクします。

さらにエンターテイメントの売り方としても、能力値としてわかるものではないので、読者やプレイヤーの誰しもを「自分ももしかしたらそうなのかも」「自分が選ばれし勇者だ」とワクワクに引き込むことができます。

 一般庶民として育った主人公が冒険の果てに実は貴い血筋の者だったとわかる「貴種流離譚」は古今東西をとわず人気の物語類型です。ですので、「伝説の勇者ロトの子孫よ!」というのはエンタメの導入として正しく、RPGのはしりとしてまず教科書的な魅力の土台を敷いたといえるでしょう。土台がないとひねれませんからね。

 

 ところで「貴種」=貴い血筋には大きく分けてふたつの種類があります。

①神の子孫系貴種

 まずひとつめは日本の大王家=皇統の由来とされているような、「偉大な神の直系の子孫である」というものです。日本の古来からの豪族=公家も設定上とはいえおおむね祖となるマジ神をもっており、そういった根拠において貴種とされています。祖先がなにも「神」ではなくとも神格化レベルの功績を打ち立てた英雄である場合もこれに該当し、通常「ロトの子孫」というのはこの意味で理解されることと思います。

この「神の子孫系貴種」は「血」すなわち「遺伝的特性」「超越存在が子孫に与える身びいきの加護」においてなんらか優れた力を継承していることを「貴さ」の源泉としています。まさに「生まれながらに選ばれしもの」、「特別なチカラをもった存在」というわけです。別に悪意で中二病的な言葉選びをしてるんじゃないですよ、思春期の人間にとって「自分はみんなと違って特別に生まれてきてしまったのかもしれない」という孤独と意識の覚醒は発達に必要なものなので、そういう設定が心にティンときて当然なのです。

②天命系貴種

 一方、西欧の君主の家系というのは(日本に比べたら)頻繁に王朝交代や傍系即位、侵略的婚姻、しまいにゃ一代での成り上がり君主化などが起こっており、しかもキリスト教世界なら「神の子」はイエス・キリストその人しかいないため事実上①の「神の子孫系貴種」は存在しません。英雄の子孫が王朝を形成することはありますが、西欧全土の王族じみていたハプスブルク家ですら元をたどれば弱小領主です。

神聖ローマ帝国の皇帝をはじめとしてカトリック国の王位は教会から得た神の承認を権威の根拠とするもので、貴族の爵位にしても日本の華族があったころのように「家系」に与えられるものではなく治めている領地という「役職」に与えられるものです。要はその立場を認められるから貴いのであって、生まれつきの血には本来特段の価値はないという考え方です。もちろん身分の世襲が固定的になってくると生まれつき貴い生き物なのだ~みたいな勘違いが生まれてくるのも当然のことですが、基本承認制なのです。その貴族の勘違いを描いた代表的名作『銀河英雄伝説』でも、銀河帝国皇帝フリードリヒ4世が「500年ちかく続いた王朝が滅びるのは不思議ではないのだから、力のあるものが簒奪するならすればいいのだ」という見解を示しています。

 話を東洋に移動させて、中華文明の「天子」「易姓革命」にもこの承認制の考え方はあります。中華文明の皇帝は「天子さま」と呼ばれるわけですけど、エジプトのファラオ(これは①に近いです)のように実際天の神となる肉体や精神を持っているわけじゃなくて「地上における天の代理人」として天の承認を受けているという設定を持った人間なわけです。これを天命といいます(天に代わって地上を治めること以外にもさまざまな人間にさまざまな天命を天は下します)。

十二国記』でも「麒麟の承認」や「失道」として描かれているのですが、古くは天命を失った殷の紂王が周の武王に倒されて新たな国新たな王朝が立った(易姓革命)ようなことがあったりして、天命は失われたり移動したりよりふさわしいところにポッと出現したりするのです。

 

 こうしてみるとドラクエ11の主人公は勇者ゆかりの国の王子という生まれながらの貴種として生まれて流離譚しながらも、「勇者ローシュの生まれ変わり」としてさだめのアザをもって生まれてきたことに特に血筋的な必然性はなく、さらには物語の後半で一度は奪われてしまった一部の先天的勇者パワーを勇気の心を示すことでふたたび取り戻すなど、①と②をいい感じにブレンドしたスーパー主人公となっています。

 

伝国の玉璽、あるいは「源氏の流れ」

毒沼からロト

 さて、話をドラクエに戻しますと。

 ドラクエⅠで一番考えてたのと違ってマジかよって思ったのは、「勇者の血筋の若者が」って話なのにどこも出来レースじゃねえってところです。王様からロトの勇者の承認を受けてお姫様を助けたり竜王を倒したりしに行くでーって言ってるのに街を歩いてるそのへんの戦士が

「おまえがまことのロトのしそんならばそのしるしがあるはず。

 なにかしるしになるようなものをもっているのか?」

 カーーーーーーッ!!!!! ペッ!! それがアンタ、勇敢なほぼボランティアに対して言う言葉かよォ! しるしがないからってなんやっちゅうねん! わかる人にはわかるわそんなん!

 とか思ってたら重要アイテムくれるらしいほこらの賢者的老人にも「このしれものがぁ!」っつって追い返された……。

 いや……え……ひどい……。(プルプル)なんかキーアイテムを手に入れてから行くと話が進むっていうゲームのチャートとしては理解できるしおもしろいけど普通に世知辛い……。

 こいつは面白くなってきやがったぜ。

 つまりロトの勇者であるしるし的なアイテムがどっかにあって、それを取ってくることでこいつらのナメた態度も変わるってことだな? オーケーオーケー……と思ってたらなんか毒の沼地で拾った。

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

 

 

 えええ……。ばっちい……。それ誰かがここで死んで落ちてるでしょ……。べつに沼で人が死ぬことは珍しくないけどおそらく金属?だよね?が沼からひきあげられるってヤバない? 浮いてくることなくない? 実は木彫りとかなんじゃない?(デルカダールメイルに続き二回目の木彫り説)

 ややブーイングしながら手に入れたこの「ロトのしるし」なるアイテム。

毒沼の真ん中で手に入ることから、
●A.「不思議な力で浮き輝いていて発見された」
 B.「沈んでるのを偶然『なんか足にひっかけたな』て手ェ突っ込んで引き上げた」
あたりのパターンが考えられる。

●Aパターンの場合は不思議な力でキレイキレイだが、
 Bパターンの場合は金属が腐食している可能性があるし、少なくとも拾った瞬間はなんだかわからない

●Aパターンの場合は来歴はよくわかんないが、
 Bパターンの場合は前の持ち主の方がお野垂れ死になさっている。

で、どっちのパターンに近いのかは、ドラクエ「そこんとこはご自由に」システムなので、「あしもとをしらべた!」「ロトのしるしをみつけた!」しか言われない。

 これを所持していれば、もくろみ通りナメた態度は改まったわけですが、おまえ、こんなん、誰が拾ってもへつらうんかい、この俺がロトの子孫であるなんの合理的証明にもなっとらんぞこれ。俺んちの蔵で見つかったわけじゃないんだから……。

しかもおまえら本物のロトのしるしがどんなんか見たことあんの!? 俺はなかったけど!?

 ロトの子孫、アナスタシア皇女のニセモノみたいにワラワラ世界中でわいて出てもおかしくないやつになってきました。実際今までにも複数の勇気ある若者が旅立っていったみたいですし。

 

廃井戸から玉璽

 これと似たストーリー展開を、『三国志 破虜伝』にみることができます。

吴书曰:坚入洛、扫除汉宗庙、祠以太牢。
坚军城南甄官井上、旦有五色气、举军惊怪、莫有敢汲。
坚令人入井、探得汉传国玺

(引用者訳
呉書にいわく、
孫堅は廃墟となった洛陽の都に入城すると、漢の祖先をまつる廟を掃除して丁重にまつった。
孫堅軍は城の南の「甄官井」なる井戸のあたりにおり、夜明けにその井戸が五色の気でかがやき、みなおどろき怪しんでけっして水を汲もうとしなかった。
孫堅が命じて部下に井戸に入らせてみたところ、伝国の玉璽を探しえた)

 孫堅という、生まれは田舎の弱小武家にすぎないがスーパー勇敢で能力のある英雄がいて、勇敢で能力があるので廃された都を一番乗りに保護するのですが、そこで偶然とかチャレンジ精神とかによって伝国の玉璽というキーアイテムを入手するというエピソードです。これは真偽はあやしめなのですが、有名なエピソードとして物語的には通説化しています。

この「伝国の玉璽」というのは金や玉で作った皇帝勅許のハンコで、日本で言う「三種の神器」にひとしい「皇帝のしるし」です。孫堅の当時の雇い主である袁術という名門の坊ちゃんはこれを接収し、「玉璽を持ってるということは私が正統なる皇帝じゃね?」と名乗りを上げることになります。日本でもこういう「これを持ってるから正統性がある」ていう主張はありますよね、源平とか南北朝とかのときに。

袁術は袁家の者なのでどう考えても漢王朝の劉家の者ではないのに、その主張に影響力があるくらいですから、「しるしを所持している」ということはときに血筋に肉薄する正統性があるのです。

 「みつけた・できたということは天命があるのだ」という考え方は日本でも「ウケヒ」という占いに利用されており、説得力があるものです。『大鏡』の中の『競べ弓・南院の競射・道長と伊周・弓争ひ』を見ると、

 また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」
と仰せられるるに、同じものを中心には当たるものかは。次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ」
と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。

まあ要するに神仏に向かって「俺が天下を取る者ならこの矢よ当たれ」「この矢が当たったならそれは俺が天下を取るということだな」と判定を仰いでいるわけです。矢が当たった通り道長が宮廷の覇者となったことはご存知のとおりです。

 しかも、袁術ではなく孫堅の話であれば、「廃された都に一番乗りをして漢王朝の霊廟を保護したてまつったら、近くの井戸が輝きだし、皆が恐れているばかりのところ探索してみたら玉璽がみつかった」わけですから、まさに行動とラッキーを兼ね備えており、これは孫堅は乱世をどうにかする天命を受けた」と解釈することもできるわけです。

 「探得汉传国玺(国璽を探すを得た)」、探すことができたとはそういう示唆もある表現です。

 

「源氏の流れをくむ」

 さらに「俺が勇者ロトの血筋かどうかなんて全く証明できてないじゃん」に関してはこのような例もあります。

 ご存知江戸幕府創設者である徳川(旧姓松平)家康は、朝廷の許可を得て松平から徳川に姓をあらためるのですが、これは秀吉が「豊臣」というゴージャスな新しい氏を創作したのとは違い、もともとあったけど絶えた親類筋の「得川」という氏に復姓(継いだ)ついでに字を変えたという扱いのできごとです。

しかしぶっちゃけその得川氏というのははるか鎌倉時代に本流が消滅しており、松平家との関係もいまいち明らかでないというか、根拠として提出された系図もなんかもうタテマエみたいな感じでした。なんのためにそんなことをしたのかというと家康とその直系に清和源氏の血統書を加えるためです。

 「自分は由緒ある名家の末裔なのだよ」という血統書の捏造はこの時代わりとカジュアルに行われていて、信長とそれにならった秀吉もおおもとの血族の名乗り(本姓)として「平」を名乗っています。信長は花押とかサブ家紋とかの紋章にもちょうちょ(平氏の象徴である揚羽蝶紋)を使っていますしね。

 家康の場合本姓として「藤原」を名乗ったこともあり、つまり時勢によって都合のいい古氏を借り受けて名乗ってるわけですね。それをなんで清和源氏に鞍替えしたのかというと、鎌倉時代はもちろん、室町時代足利将軍家清和源氏の古い名家であったからです。つまり朝廷に征夷大将軍に任じてもらう地盤固めとして源氏の流れをくんでいることにしたというのがおおむねの説です。

 何が言いたいかっちゅうと。

 功績のある者は出自くらい捏造して認めてもらい、

「そうだったのだよ」ってことにできるってことです。

 

 尋常でないところから「それらしいもの」をみつけて戻った、

すごい力をつけた若者に対して、

世界は「あれがそうかー!」って言うしかできないでしょ。

 本物の「それ」を誰も知らなくても、「それらしいもの」は天命を受けて「それ」になるのです。ものでも血統でも。

 

勇気を胸に、いかずちを手に

 さて、長くなってきたので「"ロトの子孫"とは誰か」の内容を前後編に分けて、今回は貴種と天命についての話ということでこのあたりで終わりたいと思います。

 後編では「勇者」の定義とされる、

「勇気あるもの」

「しるし」としてのロトのしるしに着目して話そうと思っています。

悪は急いでいる

 先日名探偵コナン 紺青の拳』を見てきました。

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 村に住んでいるもので、劇場ってめったに行かないし、コナンの映画を劇場で見るのははじめて! なぜ初めて劇場で見る気になったかというと京極真さんがすごく好きだからなのですが、キャラクターの魅力だけでなくド迫力あり緻密ありのうえわかりやすい演出やシンガポール行きたみ、テーマのおさまりなどいろんな要素が良く、なんか二回目も行ってしまいました。

 またエンディングテーマ曲がいいんですよね。こいつが美容師を半年で辞め、ボーカルスクールやボイストレーニングなどの経験なしでなぜか三代目のボーカルオーディションに一発合格したシンデレラボーイか……と構えて聞いてたのですが、シンガポールらしいエキゾチックでありながら都会的でラグジュアリーなサウンド……スタイリッシュな切なさ……。

youtu.be

 エンディングテーマを聴きながら思った……

 Secret in the moonlight......闇夜に浮かぶ...BLUE SAPPHIRE......

これはまさにすでに敗北した悪役を賛美する
「悪役かっこいい」のお歌に相違ない……。

(そういう事実はありません)

 以下、この記事は映画のネタバレをします。

 

 

 

謎めいた拳

 コナンの映画半分も見てないので比較はできないのですが、
今回の映画はハチャメチャ怪しくて絶対に殺人計画の犯人であるヤツがそれこそ映画のテーマを示すべき最初の10分間で明らかに出てきます。

 コリャもう100%ダメだ……。

 最初の殺人への関与についてはもう演出からし隠す気がないので、今回の映画には「殺人事件の犯人は誰なのか」という意味でのネタバレはあまりないといっていいでしょう(のちにもう一人人が死ぬのでその犯人は誰だ……?というのは考える余地があるのですが、それもコイツだぜ)。

 

 ところで今作のキーワードとなっているのが「拳」です。これは当然京極真さんがメインキャラとなり、彼のカラテがドラゴンボール的エフェクトで炸裂することもさしていますが、もう2つほど意味をかけてあります。

 ひとつはテーマ曲のタイトルにもなっている「BLUE SAPPHIRE」、「海賊王の証」とも言われた巨大ブルーサファイア「紺青の拳(フィスト)」

これを優勝賞品としてシンガポールの支配者的金持ちの道楽の空手トーナメントが開かれ、キッドがそれを狙い、さっきの怪しいレオンさんは警備会社の社長としてセキュリティを担当しながらも、わが物にしようと狙っている……という三つ巴の様相に、京極真さんの強さとキッドに巻き込まれたコナンくんが絡んでくるというわけです。

 もうひとつはキッドの言う「握った拳の中にまるで何かがあるように思わせるのがマジシャンで、その拳の中身を開く前に言い当てるのが探偵」「言い当ててくれよ、殺人という謎めいた拳の中身を」という言葉が表す、謎、トリック、心理戦の比喩です。

キッドがマジシャンであるのはもちろん、最初の犠牲者は人に聞かせられない交渉もするやり手の弁護士、それを謀殺したレオンさんは人の心を読みコントロールさえする犯罪行動心理学者、さらにその弟子で犯罪行動心理学者として警察に協力している若者リシくんなど、今回はカラテ無双の裏にそういった「拳」に何かを秘めた頭のいい人間ばっかりいる。

 そういった意味で今回は打って出るもスマート悪! 迎え撃つもクレバー悪!

そしてすべてを粉砕する爆発とカラテ!! という感じなので、

本当に破壊されたシンガポールの街が悪役どもが夢の跡…って感じでエンディングテーマがしみるわけですよ。

 

「犯罪責任」の所在

 ところで「打って出るも悪 迎え撃つも悪」ということは、「結局だれか一人だけ悪者がいるわけではない」ということです。

 これはシンガポールという「国家」「街」をテーマの舞台にしたことと、現代的な倫理の問題に沿っています。

 もちろんいつもの(いつもの)コナンの殺人事件でも、殺される側には恨まれるだけの理由があることも多く、殺された側のほうが人間性として邪悪なことだってままあるんですけど、それでも殺人はダメなので、ダメです、刑罰を受けましょう、という決着になっています。

 「殺人」に関してはその決着でひとまずいいのですが、今作では殺人事件とは別の大きなレオンさんの悪い計画が動いており、死んだ人はその計画上邪魔だったので死んだ「だけ」という感じです。さらにレオンさんの悪い計画には2つの悪い組織のトップがついており、それらと利用し合い騙したり裏切られたりしています。

 しかしそれでも今作の黒幕はレオンさんではなく、レオンさんの計画上死んだ人の息子であった弟子のリシくんだった!というオチだったわけで、「すべての被害の責任を負う悪者」としての「犯人」がいまいち判然としないつくりになっています。

 リシくんは、えーと黒幕配慮なのか公式画像がねーぞ!?

ポケモン ちょっこりさん タケシ ぬいぐるみ 高さ約13cm

ポケモン ちょっこりさん タケシ ぬいぐるみ 高さ約13cm

 

  まあつまりいい人そうな糸目キャラなんですけど(これはポケモンのタケシ)、裏で糸を引いていた本性を表すとき、相当の三白眼にカッ!するため、サラッと見ている人やキッズにも「わあこいつが黒幕だったのかこわい」とわかりやす~く心のおさまりがつくようになっています。

 しかし冷静になってこの事件全体でしでかされた「犯罪」「悪」のみを整理してみると、

 

レオンさん、海運会社の社長中富れいじろうと共謀しリシくんのお父さんを殺す

レオンさん中富れいじろう海賊首領ユージンと取引しシンガポールの街に石油タンカーを突っ込ませ大破壊をしようとする

レオンさん秘書レイチェルに手伝わせ元顧問弁護士シェリリンを殺す

リシくんシェリリン殺しの現場にキッドのカードを置き、容疑者に仕立て上げる

レオンさん、京極さんの力を削ぐためチンピラを雇い園子に危害を加えようとする

レオンさん、警官に暴行しパトカーを奪ってひき逃げしてまで園子に危害を加えようとする

レオンさん、秘密を漏洩しようとした秘書レイチェルを口封じに殺す

レオンさん、レイチェル殺しの罪をキッドに着せようとする

レオンさん、警備会社として預かっていた紺青の拳を着服、海賊首領ユージンに取引材料として渡す

リシくん、園子を崩壊するホテルから避難させないよう工作し、海賊首領ユージンに誘拐を教唆

海賊首領ユージン、手勢を率いてシンガポールの街を大破壊

海賊首領ユージン、身代金のため園子を誘拐しようとする

怪盗キッド、全編に渡り不法侵入、器物破損、傷害

コナンくん、傷害、器物破損、リシくんを騙して家に上がり込みプライバシー侵害

(京極さんは威力は過剰であっても正当防衛的戦闘しか行っていない)

 

このようにレオンさんがすごく悪くて、「黒幕」と言われたリシくんはそこまでハチャメチャ悪いことをしていないことがわかります。麻酔銃でリシくんを撃ってパソコンの中の捜査資料を見たコナンくんのほうが直接的に犯罪だわ。

むしろリシくんはお父さんの恨みから、レオンさんのシンガポール大破壊計画を阻止することで復讐をはたそうとしており、園子の誘拐にむけて動いたのもレオンさんの計画のはしごを途中で海賊首領ユージンに外させるための策略であり、犯罪教唆は犯罪教唆ですが人の死ににくい穏当な策をとっているといえます。リシくんは「裏ですべてを操っていた」のですが「巨悪を倒そうとしていた」という意味では目的は正義の者であるといえます。

 一方、レオンさんに仕える警備主任・ボディガードであり、空手大会に出場する超強豪選手ジャマルッディンは、これはユージンと違いリシくんの差し金ではないのですが「あんたに仕えていたのは京極と戦うためだ、それが(あんたの余計なお世話で)できなかった以上あんたに仕える意味はない」と肝心なところでレオンさんから離反します。

ジャマルッディン選手は「ただ京極真と堂々と戦いたい」というスポーツマンシップある熱い男としてカッコよく描かれていますが、しかし、彼は警備主任としてレオンさんの計画も知るところであり、つまり「京極真と戦いたい」のために悪事を黙認していたという意味で共犯者であるといえます。しかもレオンさんに弱みを握られている弱者である秘書レイチェルや中富れいじろうとは違い、いつでもレオンさんを張り倒すことができたのにそうしなかったのです。ここには「動かないという悪」があります。

 

 そしてリシくんを目的は正義の者であるというのなら、独善的なものではあるのですが、レオンさんにもレオンさんの正義があります。レオンさんはかつてコンサルタントとしてシンガポールの都市計画会議に参加し、シンガポールの完璧な都市計画をしたいと思った。レオンさんはメチャクチャに頭が良く実力も見通しもあり、その案が長期的には皆を豊かで安全で幸せにしたであろうこと自体は間違いありません。しかしくだんのシンガポールの支配者的金持ちとその他財閥の老人たちに「君の考えは急すぎる」「君はまだ若い、もう少し勉強したまえ」的に屈辱的に嘲笑われ、案を棄却されたのです。

レオンさんの邸宅(=レオンさんの警備会社)の金庫とレオンさんの頭脳は紺青の拳を盗みにきたキッドさえも軽くあしらい、彼は「この金庫には私の理想がつまっています」と言います。レオンさんには皆が幸せになれる理想のシンガポールの街を作る夢があり、またその実力もあるのです。したまつげの悪役顔だからってなめてはいけない。

 園子と京極真さんがレストランで謎の武闘集団に襲撃されるシーンがあります。冗談みたいにさまざまなアジア武道をやる悪漢たちが出てきては真さんにちぎっては投げられるのですが、わりとシンガポールではよくあること的に流されます。 まあそいつらはぶっちゃけレオンさんの差し金ではあったのですが、要はそういうチンピラがいっぱいいてもおかしくない治安の部分も多いということです。

混沌も都市の魅力のひとつではありますが、混沌によって起こされる犯罪行為、迷惑をこうむる人の数、得られるはずの幸せが得られないこと……、それらの幸せの損失計画の犠牲となるものを比べたときに、レオンさんの中では計画の収支が合い、「より正しいことのために」と信じられたのでしょう。

 まあ当然それで人をそんなサクサク殺しちゃダメなわけでレオンさんは犯罪者だし、レオンさんを追い詰めて復讐しようとしたリシくんもほぼ犯罪者ということになるんですけど、

それでもリシくんの犯罪はリシくんが悪いのか?(レオンさんが悪い)

レオンさんの計画を召喚してしまったのは誰か?(財閥の老人たち、およびシンガポール全体)

さらにはリシくんやコナンくんやキッドが巨悪を止めるために多少の犯罪的行為をいとわないのならば、それとレオンさんの理想の実現との違いは何だというのか?

という、「犯罪責任」を実行者と完全にイコールにするのをためらうべき問いが残ります。

 

 それを印象付けるかのように、レオンさんが中富れいじろうを利用するための貸しをつくるにいたった「中富れいじろうが盗みの疑いをかけられてレオンさんがそれを救った」という事件は「実はそれも最初からレオン先生によって仕組まれていたとしたら…」とリシくんに看破され、中富れいじろうは自分の足場が何も信じられなくなり腰を抜かしています。

加えて中富れいじろうは普段から犯罪的行為もいとわないような人間であり、「もともと悪いやつでさえも、『そいつが悪いやつだから』ではなく、周囲のさまざまな状況に仕組まれたり動かされて悪事をはたらかされてしまう」と示されているのです。

  いわんやもともと善なる人間をや。

 

罪を負う者と非犯罪者の「差」

 現在の罪や刑罰の感覚では、「実際に罪を犯した者」が犯罪者であり、それに至らしめたすべての状況や人間は、情状酌量要素とはなっても罪の対象とはなりません。

 一方で、昨今の「社会に追い詰められた者の犯罪行為」に対しては、「社会全体の罪」ではないかという見方をしていく必要が出てきています。

  レオンさんはまあ財閥の老人たちに笑われてはいましたけどここで言うような「社会に追い詰められた者」とは違うのですが、「社会の要請に応えた者」であるとはいえます。社会が意識無意識に関わらずレオンさんの計画を含めた才を必要としてしまう以上、謎がコナンくんの才を求めてしまう以上、彼らはそこに行って、「多少の障害」をもともせず役割を果たすのです。

 犯罪にいたる者といたらない者の違いは実はほとんどの場合行動力の差に過ぎず、倫理観の差が理由ではありません。もちろん強い正義の心によって激しい殺意を思いとどまる人もいますが、多くの場合犯罪という逸脱の一歩を踏み出さない理由は、怠惰の心、保身の心、恐怖の心、面倒なことの忘却、自分の能力への自信のなさ、それらの損得勘定などの、一言で言って弱さのゆえです。この弱さはけっして悪いものではありません。こうした弱さによって、人間はお互いにセーフティネットを作って群れで生きていくことができるのです。

 しかしレオンさんが都市を生まれ変わらせることをずっとあきらめず、リシくんが仇に弟子入りしてまでも父親の復讐をあきらめなかったように、たまに群れをはぐれてでも自分の意思を貫ける強さをもった人間がいてしまって、

(昨今の失うもののない人間を「無敵の人」と呼ぶ言い回しは、順序が逆なだけで同じことを指しています。強いから群れをはぐれられたのではなく、群れをはぐれてしまったのと同時にセーフティネットである弱さがなくなってしまったのです)

その強さが踏み出した先が、偶然に罪となる方向だったとき、犯罪者が生まれるといえるのです。

(また、ここで論じているレオンさんのような「巨悪」を行う人間ではなく、個人としては弱い人間が群れの力を使って欲望を果たそうとしてしまう「小悪党」もいるという違いが中富れいじろうとして例示されているのも秀逸です)

 「強い人間」がその強さゆえに罪にも踏み出し、

 コナンくんという「強い人間」がその罪をあばき刑につかせる。

 これはまるで西洋中世の騎士社会で、戦う力を持った騎士どうしだけが戦争をし、民草はわけもわからずたまに略奪され逃げ惑っているだけだったのと同じです。シンガポールには無数のレオンさんがいるけれども、計画の実行に至る強さを持っていたのがレオンさんだったというだけだし、レオンさんを恨む人もたくさんいるけれども、本当にレオンさんを追い詰められたのがリシくんだけだった(たとえば弁護士シェリリンはそれに至らなかったから加害者ではなく被害者となった)というだけです。

 強い人間どうしの「加害者」「被害者」は一方的なものではなく、結局どちらがどちらなのかは結果論にすぎないのです。そして弱者が自暴自棄に犯罪を犯すことが社会の問題であるように、強者どうしの葛藤もまた強者が勝手にやってることではなく、「無数のレオンさん」「無数のリシくん」「それを取り囲む私たち全員」の問題なのです。レオンさんとリシくんが罪に問われるとしたら、騎士が領民の代表・代理として戦って傷つくように、「似たような/その強さに甘えている・みんなの代表として」彼らが代わりに罪を負うだけです。

 

スピード・スター

 「似たようなことを考えている人間の中でもレオンさん・リシくんが偶然強くて星に手が届いてしまっただけ」みたいなことを言いましたが、それにしたってレオンさんのやり方はヤバすぎなので、レオンさんが激ヤバを行ってしまった原因を「群れに依存して妥協しない強さ」だけではないもう一つの悪役の魅力を分析することで考えていきましょう。

 例えば世界にはレオンさんのような人に恨みをもつ「無数のリシくん」がいると言いましたが、リシくん以外の「復讐をしなかった無数のリシくん」はどうしているのでしょうか。

先ほどの話で言えば、「無数のリシくん」たちはリシくんほどには意志の力や能力が強くなかったので、復讐してやると思いながらも諦めたことになります。その弱さが悪いものではなく人間社会のセーフティネットとしても機能していることは先述の通りです。彼らは復讐を実行に移すことを諦め、できればこれ以上自分のような思いをする人が増えないように祈ったりそのために働いたりしながら、「いつか奴には天罰が下るだろう」と思っていることでしょう。そして実際に「代表」であるリシくんの働きによってレオンさんは社会的生命を失うのです。

 ここでは、リシくんが彼らの「代表」としてすみやかにレオンさんの企てを防いでくれた間、「無数のリシくん」たちはちんたら働き「天罰」を待つだけだったという、怠惰の邪悪であると言うことができますが、それだけなのでしょうか?

 コナンくんも目の前の謎を止め、正しく解き明かすために、強い人間なのでいつも犯罪じみた「行動」に踏み切っています。本当は犯罪であれ「為す」ことが善で、非犯罪であれ「為さぬ」ことが悪なのでしょうか?

 だとしたらレオンさんが善で、シンガポールの街の変わろうとしないすべてが悪なのでしょうか?

 そうかもしれないけれど、少なくともこの作品においてはレオンさんやリシくんのやろうとしたことは「よくないこと」とされ、コナンくんやキッド、無辜のたくさんの人たちのいる側から確かに踏み出してしまっているのだと描かれています。そこには「手段のヤバさ」だけでない何かの違いがあるというのです。

 

 「この街は崩壊し、生まれ変わる!」と楽しそうに悪役顔をしてくるレオンさん。彼は自分の理想を世に顕したいのです。それは善いことです。

 しかしレオンさんは「君の計画は急だ。それでは住処を追われるものがたくさんいる」「君はまだ若い」と言われてつっぱねられ、そんなちんたらしたことではだめだと計画をおこしたのです。住処を追われるものが出てくる。壊されるものがある。死ぬ人がいる。これは結局同一線上のことです。

 リシくんもそうです。レオンさんが街の遅々とした改善なんだか悪化なんだかわからない変化に意味を見いだせず耐えがたいように、いつ下るんだかわかりゃしないレオンさんへの法的な「天罰」を待ってなどいられず、積極的に超法規的な手段をとった。

「君はまだ若い」

 「間違っていない理想」と「強さ」を持った者が、それでも(それゆえに)罪を犯してしまう「悪」の実体とは、

一瞬に世界を変えたいという、理想のあまりの「速さ」

であり、

美しさや正しさや理知が本来はただちに世界に顕れるべきだと思っている、

少年のように純粋一途な青い心なのです。

 

 世界は彼らのハヤブサのような、閃光のような速さに追いつけず、

その摩擦はときに炎を招いてしまいます。

 

この街の生まれ変わらせ方

 悪役が魅力的な理由は、群れをはぐれることをいとわない「強さ」であり、また妥協を知らぬ少年のような「速さ」なのだと述べました。

 しかし彼らの「強さ」と「速さ」は人間社会のかたちを破壊するものであり、もし彼らが人間社会をよりよく変えることを望んだとしても、彼らのやり方ではうまくいくことはほとんどありません。理由は「悪だから」ではありません。そして、それは私たちが悪役の魅力に惹かれることがあるのと同じ理由でもあります。

 それは「この世界は、人間の社会は、ゆっくりとしたペースでしか本当には変わらないようにできているから」です。

 

 世界は急に変わりません。それはもう物理法則のようにです。どんどん人間の思考や技術が加速して、世界の変化がそれに底上げされるとしても、宿命的に、その変化のスピードは頭のいい人間の思考のスピードを大きく下回り続けます。そうでなければ世界に夢ものぞみも生まれません。

ちょっと小賢しい大半の人間は世界が遅々として変わらないことに苛立ちながらも、それを「革命」するにいたらない自分の力不足にまた苛立ち、日々をくらしています。そうした苛立ちの闇に強く速い悪役の存在は、ときに流れ星のように輝いて見えるのです。

 

 しかしさらには、世界は一人や二人の人間が大きなことをしたというだけでも変わりません。流れ星が爆発しても変わったりしません。歴史書には特定の偉人の名前が書かれるかもしれませんが、社会がどんなものであるかは、それこそ無数の「草の根」からしか本当には変わっていきません。本当は世界を変える責任があるのはレオンさんでもリシくんでもコナンくんでもなく、私たち一人ひとりでしかないということです。少なくとも現代では。

 その責任、その罪、その行動から逃避するとき、私たちはコナンくんの英雄的強さを崇め、あるいは悪役たちの美しさを愛し、「彼を悪とした『世界』が悪いのでは」と、まるで自分が「世界」に対して無実であるかのように、つい思ってしまうかもしれない。

しかしひとつの正しさ美しさを持つ悪役に惹かれることができた人には、世界の中でその理想をアシストする力があります。チームの中で突出した選手にすべてを任せるか、その選手ができる限り動けるよう周りが微力でもサポートをしていくかで、彼が孤独な悪魔になるか幸福な名選手になるかが決まります。その微力がどれだけ微力で、いっそメンタルなものにすぎなくてもです。

 理想を持ったかっこいい悪役。私たちの闇夜に浮かぶブルーサファイア

 彼の幸福を扶けるのは、平和な運命でも正義の裁きでも野望の完遂でも一つ二つの愛でもなく、

何百年の年月と幾億の小さな勇気だけです。

金の竜の背に乗れるか―Dragon Questの東西意識

 当方はちょっと異類婚萌えなのでまた別のアレがありますが、カッコいいドラゴンって燃えますよね。

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ドラクエ11でも天空魔城でグレイトドラゴンが現れたときにはもう。

 恥ずかしながら当方は11まではドラクエのナンバリングタイトルを8しか自分でやったことがなかったので(FC、SFCのもの、および7は母だけが夜中にやっていました)、最近ドラクエ11にいたる文脈を理解するためにロトシリーズをプレイしているのですね。

 ロトシリーズは『ドラゴンクエスト』の成立と土台の確定、という感じの変遷があって面白いです。

 なんの変遷かというとドラゴンというものの変遷です。

 

「竜を探索する」の意味

 これは当方がもともと持っていた昔の私見の話なのですが、

「なんかドラクエって体制礼賛的な感じのするRPGだよな(食わず嫌い)……」

「ドラゴン、つまり権威を探求しにいくんだろ? 出来レースに乗るということじゃん」

 この中二の斜に構えたスネにも実は見るべきところがあって、

ドラゴンな探索(クエスト)とはいったいどのような意味でのドラゴンについての探索なのかというテーマの目のつけどころがあるということです。

 中二な当方が言った通り、ドラゴンには象徴として「権威」の意味が確実に存在しています。紋章学においては専制的権力を表し、えーと名前忘れちゃったんですがヨーロッパのどっかの竜頭の神にも「魔法がかけられたような権力」を表す魔法神がいたような。

 『FINAL FANTASY』シリーズの何がどう「ファイナル」なのか、もっと毎回明確に課題とされている『女神転生』シリーズでどうやって「女神が転生」するのかが、毎回違っているが確かに「女神が転生」しているわ、となるように、ドラクエ「ドラゴンの意味」「ドラゴンがどうしたのか」がさまざまに示されていると考えられます。

 

西洋式「ドラゴンの探索」

 まず『ドラゴンクエスト』(無印)ですが、この作品はそもそも『指輪物語』『ダンジョンズ&ドラゴンズ』『ウィザードリィ』等の系譜につながって作られたものであり、したがって西欧ファンタジーの常識の影響が最も直接的で強いです。

 「悪い竜がお姫様をさらって閉じ込めており、それを助け出して結婚する」というのはユングも物語原型として分析している西欧の代表的物語パターンのひとつであり、日本にもそれの「鬼」バージョンなら『一寸法師』とかにみられますが、西洋では「鬼」のところに「竜」が入るのです。

 日本で言う「鬼」に代入されることでわかるように西欧における「竜」とは常識として「悪」のものであり、東洋と全く違ううえあまり意識されていないので注意が必要です。

 『Fate/Grand Order』の第一部一章「邪竜百年戦争 オルレアン」では「フランス」または「竜」にまつわる英霊が召喚されていましたが、その中に「竜退治の聖人」が二人もいます。「聖マルタ」「聖ゲオルギウス(セント・ジョージ)」です。彼らはキリスト教の聖人であり、聖人伝『黄金伝説』には多くの竜退治エピソードが収録されています。つまり「竜を殺す」ということには邪悪と戦って勝ったという聖別された意味があるのです。

ja.wikipedia.org

 

 また聖邪だけではなく、東洋の竜が「天・(雲や雨や川などの)水」を表している(下記事)のに対し、

homeshika.hatenablog.jp

西洋の竜は「地・火」を表しています。

 (「嵐」の竜に関しては東洋だけでなく東欧にもいます)

 さらに上記のツイートの通り「竜は金銀財宝を溜め込んでいる」というのも常識で、そこから「竜は強欲である」→「強欲な意思は竜となる」という『Fate』世界観の「ファヴニール化現象」みたいな概念が生まれてくるのです。

 したがって西洋ファンタジーでは「悪い竜を倒しにいって、お姫様を救い出し、財宝を手に入れよう」というのが冒険ものの定番の楽しみとしてあり(桃太郎+一寸法師)、その王道をみごとに再現したものがドラクエ無印であることになります。

 

東洋式"龍"

 一方、東洋……つまりドラクエの対象である日本の価値観における竜(龍)は「天・雨雲・河川」であり、怒ると干ばつや水害なども起こりますが、多く聖性をもつ「神」だと思われています。古来から中華文化圏では王者・皇帝の象徴とされ、金色に輝く龍「黄龍」は東西南北四神の中心を司る長と呼ばれます。

 要するにメチャクチャいい方の神様なのです。こういった日本人の常識感覚に合った変遷があったことが、まだ当方はやってないんですけど「天空シリーズ」に見てとれます。黄金の天の竜であるマスタードラゴンが世界を管理する神様的な存在をやってるらしいじゃないっすか? ルビス様もいるけど彼女は地母神であり天空神ではないので。といったところにも日本のフワッとした多神教感覚が取り入れられているのがわかります。

 この善なるドラゴンへの転換点が見えるのが『ドラゴンクエストⅢ』の「竜の女王」です。ドラクエⅢはまだやってないんですけど(やってないものばかりだ)……『ロトの紋章』(全部読んだ)でその筋書が再話されてたので知ってます! 「竜の女王」は善なる存在で、たまごが邪悪のものに奪い去られ、息子である竜王が邪悪に染まってしまったのでドラクエ無印のラスボスになりました、という理由がついたのですよね。「基本ドラゴンというのは善い存在なんだよ、まかり間違うとすごい災害にもなるけど」というまさに日本的龍神観がロトシリーズという土台に確定したわけです。

 

マスタードラゴン

 天空シリーズに出てくるという黄金の天の竜神マスタードラゴン(まだ会ったことない)。

 検索すると「マスタードラゴン クズ」って出てくるし、このあいだ友達にこの「ドラクエでドラゴンは最初はラスボスだったけどそのうちマスタードラゴンとかダイ大・11のマザードラゴン的な神のイメージになって……」という話したら「クズのマスタードラゴンめ……」てつぶやかれるしで、どんなドラゴンクエストなのか非常に楽しみじゃないですか。むしろ神やテーマなる存在が「クズじゃね?」となる場合、(クソシナリオゲーでなければ)そこに立ち止るべき鉱脈があるわけですからね

 

 

「地の邪竜」

 ところでこれは余談なのですが、聖人伝の邪竜殺しはさまざまなメタファーで考えられます。

 ひとつには「火山」の「金銀財宝」、すなわち鉱産資源を得るために人々が自然と戦ったという見方、

また「ゲオルギウス」の名が農民を表していることから、人が荒れ地を耕して豊かな農地を得たという見方もできます。

 もうひとつは、「竜」≒「悪魔」というのはイシュタルがアシュタロスとされバアルがベルゼブブとされたように「異教の神」を表すものでもあるため、「異教徒の平定・教化」を表す(財宝とは異教徒がもつさまざまな資源)という見方です。穏やかでないようですが、これは「キリスト教世界の栄光を世に広めました」という意味ではものすごい「善行」であるわけで、聖人伝に書かれるにふさわしいことです。

 「ドラゴン」という言葉にはそういう「見方を変えると」が存在しているわけで、いかにもドラゴンクエストシリーズの楽しみ方にふさわしいではないですか。

あなたに生きていてほしい―デルカダールメイルと鎧の歴史

 実は当方は目が節穴なのでニンゲンの見た目的な良し悪しってほとんどわからないのですが、

ドラクエ11デルカダールメイルがカッコいいのは、装備者の片割れの普段着のおもしろさのおかげでわかることができました!

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 その黄色いピチピチのやつなんとかしなさいよっていうのはあるのですが(今度中世服飾のカラーリングの話もしますわね)、逆を言えば、騎士の軽装としてそんなにおかしくもない(そのはずだ)カタチのグレイグおじさんの普段着さえ、恐ろしい落差に見えてしまうほどに、デルカダールメイルのグレイグおじさんはカッコよかったのです。

 機能性にもすぐれており、機能面や鎧のつくり、身に着け方、使い方はこちらの鎧・武器解説モーメントがたいへん詳しいのでぜひ見てみるといいのです。(@kakitubata29 杜若さん)

twitter.com

 

 このとっても上質なデルカダールメイル、作中の情報ではありませんが『Pash!』公開の設定としてホメロスおじさん主導でデザインしたのだと示されています。さすがスマートですね。わかっている中で一番の頭のいい活躍だと言ってよい。

 上記のモーメントが実用イメージに詳しいため、今日は鎧の概念っていうかソフト面の話を。

 

防具の目的

 そもそも、一般的なRPGをやっていると我々は「なぜ防具を身に着けるのか」という問いに無頓着になりがちです。いやなぜって防御力を上げてダメージを減らすためやろと思ってしまいます。しかし、「身を守る力」である本来の防御力は一元的な強弱があるものではありません

 たとえば「防具」ではない「身を守る力」の例を『ONE PIECE』から挙げると、

●ゴムゴムの実の能力者・ルフィは全身がゴムの性質をもつので、打撃・銃撃・電撃のダメージが通らない。(刺突や斬撃は通る)

●スベスベの実の能力者・アルビダは肌の表面がすべてのものをつるりと滑らせるので、武器を体に当てるタイプのすべてのダメージが通らない。

●ゴロゴロの実の能力者・神エネルは全身が雷という自然エネルギー流体の性質をもつので、物理攻撃のすべてが通じない。

●相手の短期行動予期のできる(見聞色の覇気)素早い動物系能力者は、よほどの広範囲攻撃でない限りすべての攻撃を容易に回避できる。

 といったように、上記ほどのことは人類にはまだできないとしても、「防具」でなくともそれぞれすべて「身を守る力」として機能するのがわかります。もっと言えば地の利や交渉で戦闘を回避することさえ「防御力」の一種ということです。ドラクエⅠのりゅうおうは多方面にメチャクチャ防御力が高い。

 そして、上記の例にあるたいへん強そうな「身を守る力」も『ONE PIECE』の中では敗北したり苦戦したりしているわけですから、実はダメージを通す手段は何かしらあるのです。ゴムゴムにとっての斬撃のような、それぞれへの対策をあなたも想像したかもしれません。

 それが「防具」と「武器」との関係なのです。

 相手の能力や戦法によって、相性のいいアイテムや弱点を利用したり、あるいは重要ポイントを押さえたりして、目的を達成するのが戦いです。当然相手によっても目的によっても有効な攻め方・守り方は違ってくることになります。

 能力が数値化されたRPGでさえ、ごついアーマーは魔法防御力が低かったりなんかしますね。そして本来の戦闘不能状態は「ダメージが蓄積し、体力が尽きる」というものばかりではなく現代の銃撃にあたるように「一撃当たったらまずい」という状況も多いです。また、対策をどんどん載せればいいというものでもなく、たとえばルフィに斬撃耐性をつけるため鎧を着せても体を伸ばせなくなるなら強みを失ってしまいます。これが防御力に一元的な強弱はないと述べた理由です。

(ただそれを数値的に表現するのはとっても煩雑なので、ゲームで言うとじゃんけんとか属性相性バトルのようなシステムに多様な防御と攻撃があらわれてると思ってください。相性バトルシステムを採用しないゲームでは防御力が一元的になっても当然で、それはゲームのおもしろさの置き所がそこじゃないだけなので全然オッケー、表現上省くべきことなのです)

 ある防具に対して有効な武器が使われるようになり、

ある武器を無効化するために防具が変化する。

 現実の歴史でもそういう弱点を突く能力バトルをやってきているので、単純なインフレーションにならず、マンガのおもしろさも保たれるというものなのです。
(特に『ONE PIECE』ファンというわけではない)

 

 つまり防具には絶対的な防御力ではなく独自の目的が存在し、

それがなければ優れた防具は作りはじめられることさえないということです。

 軍師の建策と同じようにです。

 

防具と武器の進化

 防具と武器は、あらゆる道具がそうなのですが、①目的②手段 の二点がそろったときに発展します。かなえたい目的があっても材料や技術や資金力がなければ実現しませんし、逆に条件がそろっていても需要がなければ注目されません。この、とくに目的に着目して防具と武器の発展を見ていきましょう。

 

「ぬののふく」

 まず旧石器時代から存在する原始的な防具に「服」があります!

 おい……って感じですがドラクエでも「ぬののふく」からだろ! いけるいける!

 いやマジで、だって人類は毛皮がないのですごい大事ですよ、毛皮には体温低下や擦り傷というダメージから身を守るという主目的があります。もっとさかのぼると人類が毛皮のない「裸のサル」なのも体温上昇のダメージから身を守る機能がある「見えない防具」であるとさえいえ(裸の王様とは関係ない)、服は「体温調整」という身の守り方の強みをゲットするすばらしい防具なのです。

honeshabri.hatenablog.com

 ホモ・サピエンスがその排熱機能の高さによって動物として他に類を見ない持久力を手に入れたこと、「毛皮って脱げるの!?」という特性は『けもフレ』にも表現されています。

 さらにやわい毛皮や布といえど武器攻撃に対する防御力も馬鹿にしたものではなく、ずっと後の武器が発展した時代においても、そのままなら肌を傷つけて失血や感染症をまねく「勢いが落ちた矢」や「軽い剣先」などの軽斬撃をノーダメージに抑えることができます。「マント」や「テント」のように中に空間を確保して使えば、かなり勢いを殺すことさえできるのです。布を重ねて縫い固め、ポフポフにした布鎧(キルト)は後世の鎧の下に着る用としても有用です。

 この「服」という防具、しかしやはり「紙装甲」(布)であることも事実であり、原始的な武器である「棍棒」「石斧」「槍」「勢いのある矢」などは布面積を増やしてもぜんぜん防ぐことはできず、基本、攻撃は最大の防御態勢となるほかありません。

 

「かわのたて」

 それらをある程度防ぐ目的で、「盾」が生まれてきます。

 農耕社会となり、狩りよりも人間対人間の戦いを想定せねばならなくなってくると、集落に木石を組んだ囲いや壁を作って中を守るようになります。前方からくる物理攻撃をある程度遮る目的で盾が使われるのは、「物陰に身を隠す」ことのポータブル版なので原始的・自然発生的なことです。

 ここからすでに問題になってくるのが目的による守り方の違いです。いうまでもなく、穴のない巨大な盾にずっと身を隠していれば確実に身は守れるのですが、相手に攻撃することはおろか、相手を見ることもできません(現代の機動隊の透明の盾はこれを解消しています)。攻撃ができない・情報収集ができないのでは、だいたいの戦いにおいて目的を達成することはできません。

 だから盾には戦法によってさまざまな形のバリエーションや使い方が存在するのですが、まあそれは今回置いておいて、要は相手を攻撃する必要がある戦闘では、盾の防御範囲や強度は小さくとどまるということです(古代都市国家時代の集団歩兵は一列に盾を並べて移動し、集団で防御範囲の広い盾を形成することができましたが、個人には無理です)。よって、盾のないところに盾が来る前に素早く攻撃したり、見ていない方向から矢を放てば楽勝です。

 鉄剣などの強い斬撃武器があれば、盾を構えていない「服+生身」の肩口にでも振り下ろせばグジャー!です。打撃武器と比べて斬撃武器の優秀なところは尖った線(刃)に加えた力の圧力を集中させることができる(スキー板が面積の広さで雪に沈まないのと逆)ことで、日本刀のような「切れ味」などなくても圧力の集中で服や生身の組織を裂き潰すことができ、失血・痛み・運動機能の破壊による戦闘不能が狙えるのです。圧力を集中させられる(尖っている)武器は剣・斧・槍・弓矢の矢じりなどです。

 

「かわのよろい」

 「失血・痛み・運動機能の破壊」から身を守るためには、主に首・胴体・骨盤周り・肩周り・肘膝を恐怖の攻撃・斬撃にさらさなければいいことになります。さらに巨大盾のように攻撃や視界を制限しないためには斬撃抵抗力のある「服」を着る必要があります。そこでうれしい防具が「レザーアーマー」です。

 薄いなめし皮をペタペタして作っただけのものでも、小~中型の獣の爪牙やチンピラの刃物程度を防ぐことができますし、もっと強度を上げて厚手の硬化皮を作り、それに金属のスタッズとかトゲトゲを仕込んだならば(北斗の拳をイメージしてください)、多少の打撃・斬撃は防げるようになります。しかも軽量なので、「ぬののふく」から「かわのよろい」への変化はゲーム的な単純な防御力上昇のように考えていいところです。

 しかし獣の皮である以上、斬撃や槍・弓矢の刺突の「圧力集中の力」が強ければ裂けたり貫通したりしてしまい、ジ・エンドです。

 

「うろこのよろい」「くさりかたびら」

 斬撃・刺突の「圧力集中の力」から全身を守りながら攻撃する目的の「服」としてひとつの完成を迎えたのが「ラメラアーマー」「チェインメイル」です!

 これらは両方、無数の小さな金属パーツをつなぎ合わせることで隙間のない金属の強度それなり(金属の一枚板をそのまま装着するよりだんぜんマシ)の軽さ、そして皮鎧にも勝るしなやかな運動性能を得た鎧です。

 

 「ラメラアーマー」というのはドラクエの「うろこのよろい」のように皮より強度の高い薄くて小さなパーツ(皮や金属小片、ファンタジーでは竜種の鱗など)を、魚の鱗のように重ねて並べ糸でつなぎ合わせることで、まさに魚のようにしなやかな動きを可能にします。

 胴体や肩に装着するにはサイコーといえ、日本の源平合戦っぽい「革おどしの大鎧」とか三国志もので鎧の表面が小さくキラキラしてるやつとかはこれで、主にアジアで発展しました。 

   『フォーチュン・クエスト』のクレイ・S・アンダーソンの「竹アーマー」もこのラメラアーマーにあたります。カラカラ音が鳴るのでギャグ要素になっていますが、金属製ラメラアーマーだとこれが無双でよく足を踏み出したときとかに鳴ってるチャリッ…みたいなカッコいい音になるわけですね。

 

 一方西洋では「チェインメイル」のほうが勃興しました。

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 夜でマジごめんだけどこの、全員の腕とか脇のところに見えてる黒っぽい部分がチェインメイルです。ホメロスおじさんの肩鎧と肘当ての間が網目状になっているのが見えると思います。

 「チェインメイル」=「くさりかたびら」というのは鎖を編んであるのではなく、針金でできた小さな輪っかを鎖のような方法で上下左右につなぎ、鎖状の金属ニット服にしたものです。針金を編み合わせたものが斬撃を通さないことは現代の金網フェンスをイメージしてもらえれば容易にわかると思います。フェンスの輪っかが小さくなればなるほど密度・強度は増し、輪っかが小さければ槍や矢の刺突も防げます。つまりチェインメイルは網目が壊れない限り「圧力集中の力」をほぼ通さないのです!

 また、輪っかの小さいチェインメイルは斬撃・刺突を防げるばかりでなくマジで重いニットみたいなもんなので、上のスクショのとおり服みたいに全身に着て関節も動かせるしスクショのように上に服とか鎧とか重ね着できるというわけです。また、輪っかは一応空洞でもあるので通気性や(金属板に比べた)軽量化にも一役買っています。もうこれでいいんじゃね? 事実防具の進歩としてはこれはかなりすごくて、現代の防刃チョッキも基本くさりかたびらです。

 これにダメージを通すためには、もはや「圧力集中」は通じないわけですから「重いもので叩く」という原始に戻ってきます。メイス、ハンマーですね。だからドラクエ11世界の各王城兵・警備兵や鎧騎士たちには魔物たちの攻撃が魔法か大型魔物の重さくらいしか通りません。

 しかし、このあたりから明確な弱点として「鎧が重いから疲れる」が出てきてしまいます。密度を増せば増すほど当然金属の量は増えるし、チェインメイルは服みたいに着られることが長所でもありますが、服ってことは肩とか腰のベルトに全重量がかかってくるということでもあります。疲れは死に直結しないようですが、防具をつけての戦闘というのは一人相手を倒せばいいのではなく長時間の行動を目的としていることが多く、それが果たせなくなるなら「身を守る力」としてマイナスだということになってしまいます。

 

「はがねのよろい」

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 て言ってるのにそれ以上重くなんのかよという感じでついにデルカダールメイルが登場してきます。なんのために!?!? こいつがよく最強と言われる中世防具「プレートアーマー」です! しかも馬にまで。

 長所はもちろん鎖帷子以上の攻撃耐性です! ラメラアーマー、チェインメイルは可動性ゆえに「隙間」というものが存在し得て、細い刺突が通ることがあったり、メイスで叩かれると痛かったのですが、鎖帷子の上にプレートアーマーをつければ急所に隙間はほぼなくなるし鎧と体の間にかるく空間ができるので打撃の衝撃を吸収してくれるのです。

 あとすごいカッコいい。

 

 いや、それにしてもよ……。

 

 もちろん、防御ではなく攻撃の前提として、「重い」ということは強いということです。チェインメイルに対して有効な攻撃は「重いもので叩く」だと言いましたし、騎士が他を圧倒して強いのも馬という重くて大きいものをスピードをもたせて突撃させるからです。ものどうしが激突する衝撃のエネルギーは重さ×速さの二乗です。つまり交通事故です。トラックです。ひとたまりもありません。

 しかしエンジンと車輪で走るトラックと違ってこっちは文字通りの一馬力しかないわけで、あまりに重ければその速さの二乗が上げられないことになってしまい、攻撃力としても下がります。あまりに重い武器もこれと同じですね。また、馬は重ければ速度が出ないだけでなく、人間同様に疲れやすくなります。

 何事にも程度というものがあり、工場などの生産でいう損益分岐点のように、装備の重量にも有利不利の分岐点があるわけです。

近世に板金技術が発達して完全発注者サイズのオーダーメイドで厚さ1mmそこそこの薄型プレートアーマーができてからは、現代にも典礼用や競技槍試合などでそれが使われています。そのため武具の説明ではプレートアーマーを鎖帷子を含め20~25kgと想定されることが多いですが、見ろよこのデルカダールメイルのグラフィックを。塗装を含めたってどう見ても1ミリってレベルじゃねーぞ。実は木彫りなんじゃないのか?

かりにデルカダールメイルを少な~く見積もって厚さ2ミリの鋼鉄(はがね)製とした場合も、計算してみたら全身の甲部で40kg超、グレイグおじさんの体は表面積がデカいので鎖帷子を入れれば50kgぐらいとなってしまいます。

 攻撃力を上げ、防御力を上げて、先んじて相手を戦闘不能にする戦闘行動をたくさん繰り返すうえで、これは明らかに損益分岐点を超えています。グレイグおじさんは奇跡的に体力超人なので問題なくできちゃいますが、とにかく上の目的をもった装備としてはマイナス点だということです。

 当方は「防具考証がおかしい」と言いたいのではありません

 先程も言ったように板金技術が発達する前に実際そういう鎧はちゃんと使われていたわけですし。

 プレートメイルはRPG的にイメージする防具観とは「目的が違う」ということなのです。

 目的の違いこそが本稿のテーマなのですから。

 

命の価値

 プレートアーマーが使われ、また中世騎士物語の定番装備となった経緯を語るには、現実世界で言うならば十字軍遠征をはずせません。

 もちろんファンタジー世界の歴史と現実の歴史は違いますし、クレオパトラの鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた…とか言うとおり歴史は偶然の積み重ねでこうなっているだけなのですが、しかし歴史のひとつひとつの事件ではなく道具やシステムの普及には必然的な①目的②手段がそろっていなければならないのです。それは歴史を異にする世界でも同じです。

 なので十字軍遠征という個別の歴史事件ではなく、プレートアーマーの目的をつくった要素に着目するならば、十字軍遠征は

●騎士たちの領地から遠く離れた地で

●常識が通用しない相手と

●ものすごく長期間戦った

という性質をもつ歴史事件です。

 

 経緯を軽く説明すると、キリスト教ローマ教皇の権威が高まっていた当時、教会はイスラム世界を指して「聖地エルサレムを奪還せよ」と各地の王や諸侯(つまり騎士たち)に呼びかけ、騎士たちはキリスト教世界の栄光のためとか言いながら主にイスラム世界の当時世界一豊かな富を得るために遠征に出かけていったのです。

 中世の騎士国家どうしの戦争というのは、いうても現代みたいには戦闘で人があんまり死なない(教会の道徳や戦争ルールがあるし、可能な限り敵は捕縛して身代金をとるから)のですが、十字軍遠征は全く違います。異教徒にそういうルールが通用するわけないですし、容赦なく命(たま)を奪(と)ろうとしてきやがります。だから戦って死ぬ可能性がすごく(当社比)高い。ホイホイ戦争をする王や諸侯であっても、十字軍に加わるとなれば妻や母親が泣くのです。ここはドラクエ世界の魔物との戦いとも似ていますね。

 加えて戦場は騎士・兵士たちが普段暮らしている領地からははるか遠く、これは中世の戦争としては驚くべきことです。しかも利益になるものをたんまりブン盗ってこなければリスクを取って行った甲斐がないのですから、長丁場も覚悟しなければなりません。

 そこから導ける諸侯の「目的」は、「指揮官である自分は絶対に死ぬわけにはいかない」です。

 指揮官である、家中の騎士や兵士たちを率いてきた高位の領主騎士は、ムダに死にたくないのはもちろん、死んだら家中のみんなが異教の地で路頭に迷って殺され、天の国に行けないおぞましい葬られ方をされるかもしれません。キリスト教徒どうしの戦いでの身代金の額でも同じように、命の値段は違います。指揮官は生きて指揮して生きて帰るだけで十分な価値があるのです。

 斬撃・刺突・打撃…それらは指揮官が前線に立たなければほぼ防ぐことができるでしょう。絶対に死なないためにさらに防具が考えなければいけないリスクとは、流れ矢です。三国志でも流れ矢で指揮官・軍師的なクラスの(前線にいない)周瑜が重傷を負ったり龐統が死んだりしていますからね。戦争っていうのは現代でいう弾幕みたいにとりあえず矢を射かけるので、矢の雨の中で偶然ちょっと遠くまで勢いを失わず届いてくる雫があり、それがうっかり指揮官に当たるかも。重症にならなかったとしても、カスリ傷ひとつでも遠い異国では十分な治療ができずに死につながる可能性は十分にあります。

 プレートアーマーは、この流れ矢を弾き落とすことができます。デルカダールメイルでは表現の都合上弱虫ペダル』でたまに透明になるヘルメット的な感じで省略されていますが、実用上は他のデルカダール兵のように兜もついているでしょう。ふいの方向からのいかなる小さな攻撃も通さないということができるのがプレートアーマーです。2~3ミリあれば騎士世界では禁止されたほどの殺人兵器・クロスボウでも死なないかもしれません。

 遠征においては指揮官は生きているのが仕事です。関羽とか趙雲みたいに赤兎馬で自在に動いて一騎当千する必要はまったくない(グレイグ将軍は困ったことに関羽とか趙雲みたいに戦うのですが……)。

 だから馬にだって鎧を着せて、重くていいのです。一人で動くなっつってんだろおい。

指揮官だろう貴様は。

 

 

生きて帰れということ

 目的がわかったプレートアーマーですが、重さのほかにもさらにまだ弱点がありまして……

●全身金属板なので暑いところに行軍したら焼け焦げる(使用不能

●暑いところでなくとも人間の排熱性という防御力がマイナスにまで落ち、熱中症になる

●同様に寒いところに行軍したら凍傷一直線
(グレイグも仲間会話で寒いとヤバいことを語っています)

●クソ高価かつ完全採寸オーダーメイド(よって一般兵士には配給不可)

●運んだり着付けたりするために従士が必要

このように面倒だらけなので、「絶対に生きて帰る」という強いやる気がない限りプレートアーマーはまさしく重荷です。当然主人公とグレイグの二人旅の旅装には向かないことでしょうから、仲間になるグレイグがデルカダールメイルをつけていないことは自然です。

 いや、デメリットがあったとしても「絶対に生きて帰る」という強いやる気などふつうの人間ならみな持っていて、資金や地位が許さないからプレートアーマーをつけられないだけでしょうが。

 しかしグレイグはメガザル野郎であり、「最後の砦」時には特に自らを罰するように戦いに戦い続けていました。最高位の将軍のくせに趙雲単騎駆けすることからしても、彼は自分の命を他の大事なものより軽んじていることが見てとれます。

 

 

 重石を載せなければならないでしょう。結局それは振り払われてしまったのですが。

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 二人で王国一の騎士にならなければならないのですから。