湖底より愛とかこめて

ときおり転がります

悪魔:グレイグ像はなぜブギー像にすげ替わったか

 こんにちは! エロ同人を書いていたらブログを書けなかった(身も蓋もない)照二郎です。

 ホメロスかく勘違いきが途中なのですが、まあ次で終わると思われるんでちょっと重い話は置いといて、今日はブギーちゃんの話を。

 

 大樹ドーン異変後の世界では、「デルカダール+イシの村→最後の砦」と並んで大きく町の様子に変化があるのがグロッタです。

 そこらへんかなり主題が押せ押せで表現されてたなと。

 

 

悪魔

 まずはグロッタの変化のようすをふりかえってみましょう。

~異変前~

 グロッタは闘技場の仮面武闘大会を中心としたきらびやかで娯楽的な町であり、その一方で孤児や貧困層の気配も目立っていました。

グロッタの城壁には町のシンボルとして、英雄・グレイグの巨大な胸像が据え付けられています。

 この町のヒーローである闘技場チャンピオン・ハンフリーさんは賞金によって孤児院を支えていましたが、実はその勝利は他の闘士を生贄にする魔物の甘言によってもたらされたものだったのでした。

 

~異変後~

 妖魔軍王ブギーちゃんの支配下に入ったグロッタにはモンスターカジノが作られ、ブギーちゃんの統括する悪魔系の魔物によって運営されていました。

城壁の巨大なグレイグ像は、首だけブギーちゃんにすげかえられています

 都合よく当たりまくるモンスターカジノに入り浸り遊び暮らすモンスターたちやスタッフの一部は、カジノの力でグロッタの住民たちが魔物に変わってしまったものだったのです。

 

 このような感じです。

 このカジノ(およびマルティナのデビルモード)は大樹ドーンを回避したほうの世界にもなぜか存在していることでちょっとした矛盾を生んでいますが、本稿は世界の記憶はつながっているので…という立場です。モンスターカジノとカジノは道具の使いようとして全く別のものですしね……主にコインの出方的な意味で……。

 しかし、モンスターカジノとカジノが見た目は似通っていても道具の使いようとして全く別のものである一方、

逆に異変前グロッタと異変後グロッタは見た目がグロテスクな変容をしていても本質的に同じものだということを述べたいとおもいます。

 さっき整理した中でも言ったんですけど、異変後グロッタは悪魔系の魔物がいっぱいです。

 ドラクエ11の六軍王はホメロスの「魔軍司令」という肩書がそのままだったり『ダイの大冒険』の魔王軍の六大軍団長を下敷きにしているのがみられますが、

六大軍団長ルールから考えると六軍王はそれぞれ魔物を系統ごとに率いているということになるので、妖魔軍王ブギーちゃんは悪魔系の魔物を率いているのですね。

 プレイ中、「悪魔系ばっかりだ」ということにピンときたのですよね。

 この町を(あるいはこの世界を)支配しているのは悪魔のルールだったのだということ。

 

羊飼い

 「悪魔」といってもイメージが広すぎるので、まずは当方の考えのもとのこちらをごらんください。

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 アイヨッ

 マルセイユ版タロットです。

 右が「悪魔」のカードです。両性具有の悪魔に二人の人間(男女であることもある)が首輪と鎖でつながれ、悪魔と同じようにツノやしっぽなどの獣化の特徴が出はじめているというモチーフです。

 意味としては人間の理性の光に対する欲望の闇、誘惑に屈すること、真実を見ず卑近な安寧に甘んじること、その堕落を表しています。

さらに、だいたいの図案で悪魔のカードの二人の人間はめっちゃ手足が自由であり、薄ら笑い。

悪魔のルールがもたらす快楽にみずから望んで囚われていることを示しています。こいつはモンスターカジノだぜ。

 おい、それはわかったけど左のはなんだよ。

 なんで説明の順番と逆に貼ったかっていうと左のほうが番号早くて一般的にわかりやすい意味のカードだからなんですけど、左の話する前にまず左右のモチーフを見比べてよ

人間より明らかに大きなサイズの人型のものと、あんま個性のない二人の人間が描かれていて、

二人の人間が大きなサイズのものを仰ぎ見ていますね。

これは偶然じゃなくてタロットの中ではこの二枚で符合している構図なんですけど。

 

 左のカードは「法王」です。権威と神の正しさをもつ指導者の足元で、二人のなんか弟子の僧侶っぽいやつが教えを垂れてもらっているというモチーフです。

意味としては精神的指導者や神の規範に出会って従うこと、モラルある大人、社会を安らかに善く回すルール、伝統を表しています。

つまり「道徳」ですね。

 「悪徳」である悪魔のカードとは、一見真逆であるように思えます。

 しかし、法王のカードは「神の道」を表していますが、人間が神を仰ぐように熱心に規範とするものは道徳だけでしょうか?

カネであったり、名誉であったり、欲望であったり、SNSのいいね!だったり、あるいはただ自分がストレスなく安らかに日々を送れることだったり、

現代の偽神は多岐にわたります。

 ハンフリーさんを見ればわかりますが、

「この人に頼れば大丈夫だ!」

「この人が守ってくれる!」

「チャンピオンは強いぞ!」

そういった無責任な依存や熱狂が闘士たちを魔物に捧げさせ、サマディーでは王子が苦しい嘘をつき続け、クレイモランでは女王が病み、またホムラでは悲しい母子が死んだのです。

 そんなチャンピオンの象徴であるグレイグ像が、首だけブギー像に替えられました。

 「法王」カードで二人の小さな人間が仰いでいる「神」とやらが、「悪魔」に変わっていても人間からしたらあまり変わらない、

それどころか、「神」のように思われる人間を無思慮に見上げ続けること自体が、

彼らを同じ人間と思わず丸投げし、また自分のことも責任と尊厳あるひとりの人間だと思わず家畜化する、

「悪魔」の安寧そのものなのです。

  これがドラクエ11のテーマ「星」の悪側面です。

 禅の臨済宗に「仏に会っては仏を殺せ、父母に会っては父母を殺せ」って言いますけど、これはそういうことです。

 別に悟りを求めてなくても同じです。人間は常に決まった枠組み、固定された考え方、伝統的に信じられてきたことという「法王の教えてくれること」に、スキあらばはまっていたいのです。

 現実の日本の状況をかんがみても、戦後しばらくの「がんばれば何者にでもなれる」というムードは90年代らへんから「きっと何者にもなれない」の気配を漂わせだし、いまや再び格差が固定化してきていることを無気力的に追認する向きも目立ちます。

 「固定」は本来の法王の導きたい方向ではありませんが、とにかく人間は繋がれたいのです。仔羊は不安だし迷いたくないので柵に囲ってほしいのです。それで柵を守っている人がどれだけ孤独な思いをしても、そんなことは羊には関係ないことです。

 そういう「豪華な羊の柵」としては、グレイグとブギーちゃんは実は同じものだということです。

 ブギーちゃんの「享楽」はグレイグの「強さ」に代わる、新しい安心、新しい偽物の神さまとしてグロッタに降りただけです。

 

偽の神さま

 ところで最後に余談というか資料なのですが、当方はユング心理学っぽいタロット読解をしています。

これはタロット占いではなくって、タロット大アルカナ22枚を人間の精神の成長段階のひとサイクルになぞらえた象徴的な読み方で、

タロットを元ネタにしていなくても人類の物語に普遍的なモチーフ(原型)だから物語のテーマや進行の読解にもだいたいなんにでも使えて超便利なのですが、

特にドラクエを見るのにも適してるんだよっていう関連性があります。

 ドラクエで「偽物の神さま」といったらドラクエ7のラスボスであるオルゴ・デミーラが神さまに化けてたやつですよね。

 このオルゴ・デミーラ、「偽の神」ということも合わせるとユング心理学で重要なグノーシス哲学に登場する「デミウルゴス」という神を名前の元ネタにしています。

 グノーシス哲学ってのはざっくり言うとこの世を作った創造神デミウルゴスがいて、物質的なものや表側の世界しか司らない傲慢なデミちゃんに対して、物事の裏側の真実も世界まるっと讃える真の神アブラクサスってのもいて、そういう裏側や統合あっての精神の成長なんだみたいなやつです。

 ユング心理学における人間の精神の成長サイクル(タロット22枚で象徴されるやつ)はこのグノーシス哲学と似て「意識の規範」→「規範に否定された無意識(シャドウ)」→「双方を統合した新しい自分」→(くり返し)というものになっています。

(ユング心理学およびその影響の強いヘルマン・ヘッセの『デミアン』を下敷きにしている『少女革命ウテナ』の劇場版の予告にも「神の名はアブラクサス」との文字があります)

 ドラクエ7の主題としても「世界のすべてだと思っていた島からどんどん世界の枠が拡張する」「英雄ならぬ役に立たない道化もののおじさんがすごい鍵を握っている」という、「意識の規範世界を壊す」話で、ユング心理学の精神の成長サイクルに合致しています。

 そのほか、ドラクエ8も「血筋という伝統が道化によって絶えさせられ」「権威ある神の像が打ち砕かれて中から魔が現れる」というふうになっており、まあ最近のちゃんとした物語ってみんなそうなんですけど、「規範→疑い→統合」という流れになっているんですね。

 そういったものを読みとるときユング式タロットは使えます。めっちゃいい本だよこれ。12年前に買ったときは三千なんぼだった気がするけど今プレミアついてるなおい

ユングとタロット―元型の旅

ユングとタロット―元型の旅

  • 作者: サリーニコルズ,Sallie Nichols,秋山さと子,若山隆良
  • 出版社/メーカー: 新思索社
  • 発売日: 2001/04/01
  • メディア: 単行本
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 ちなみにオルゴ・デミーラことモチーフの創造神デミウルゴスちゃんがラスボスであるのはドラクエ7だけでなく、

ドラクエ11とも符合する「星」というテーマをもった同時期の良作(今度完全版がマジ同時期に出ますね)(やめてくれよ)ペルソナ5のラスボス「ヤルダバオト」も同じ神様の名前です。ペルソナシリーズは明確にユング・タロットを下敷きにしていることで有名ですね。

 語感であれっと思う方もいるかと思うんですが『アルスラーン戦記』のルシタニアの唯一神「イアルダボート」もここから名前をとっていますね。

 イアルダボート教のモデルがキリスト教なことは明らかですので、ここでヤベェ話になってきますが、

「デミウルゴス」「ヤルダバオト」はいわゆる「ヤハウェ」「エローヒム」「エホヴァ」にあたる神です。

 まあペルソナ5を出したアトラスにはさして珍しいことではなく、女神転生ⅡでもⅣでもそのものずばりYHVHという名前のそれとラスボス戦してるので、トレンドといったところですね。

(当方のトレンド感は30年間隔ほどです)

 

次はネオロマンスゲームの何かしらの話か、イシの村の話でもしようかとおもいます。

 

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