湖底より愛とかこめて

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"ロトの子孫"とは誰か①―天命のしるし

 この間ドラクエの日でセールがあったので、ドラゴンクエストロト三部作をやろうとしていて、いまⅡが終わったところです。

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 仲間がいるっていいなあ(サマルトリアの王子が死んでキメラのつばさも買い忘れおっかなびっくり最寄りの町まで歩きながら)。

 

 この記事↓でも書いたように、当方は少年時代、ドラクエに対して「権威ある勇者の血筋に生まれた者が神の出来レースを演じさせられる話でござるか~?」とスネた目で見ていたのですが、なんかその最たるものであるロトの血筋ってやつがなんかけっこう謎めいていておもしろいので、まだ肝心のⅢをやってないのですが思うところを書くものです。

homeshika.hatenablog.jp 

 

 

 

貴種

 もちろん、当方が斜に構えて見ていたところの「勇者の血筋に生まれた者が神にどうちゃら」というお決まりの王道は、物語としていいものだから王道なのです。単に「能力がある」とかの即物的な優位性とは違い、「由緒ある血筋」とか「神に選ばれた」とかそういうのは神秘的でとてもワクワクします。

さらにエンターテイメントの売り方としても、能力値としてわかるものではないので、読者やプレイヤーの誰しもを「自分ももしかしたらそうなのかも」「自分が選ばれし勇者だ」とワクワクに引き込むことができます。

 一般庶民として育った主人公が冒険の果てに実は貴い血筋の者だったとわかる「貴種流離譚」は古今東西をとわず人気の物語類型です。ですので、「伝説の勇者ロトの子孫よ!」というのはエンタメの導入として正しく、RPGのはしりとしてまず教科書的な魅力の土台を敷いたといえるでしょう。土台がないとひねれませんからね。

 

 ところで「貴種」=貴い血筋には大きく分けてふたつの種類があります。

①神の子孫系貴種

 まずひとつめは日本の大王家=皇統の由来とされているような、「偉大な神の直系の子孫である」というものです。日本の古来からの豪族=公家も設定上とはいえおおむね祖となるマジ神をもっており、そういった根拠において貴種とされています。祖先がなにも「神」ではなくとも神格化レベルの功績を打ち立てた英雄である場合もこれに該当し、通常「ロトの子孫」というのはこの意味で理解されることと思います。

この「神の子孫系貴種」は「血」すなわち「遺伝的特性」「超越存在が子孫に与える身びいきの加護」においてなんらか優れた力を継承していることを「貴さ」の源泉としています。まさに「生まれながらに選ばれしもの」、「特別なチカラをもった存在」というわけです。別に悪意で中二病的な言葉選びをしてるんじゃないですよ、思春期の人間にとって「自分はみんなと違って特別に生まれてきてしまったのかもしれない」という孤独と意識の覚醒は発達に必要なものなので、そういう設定が心にティンときて当然なのです。

②天命系貴種

 一方、西欧の君主の家系というのは(日本に比べたら)頻繁に王朝交代や傍系即位、侵略的婚姻、しまいにゃ一代での成り上がり君主化などが起こっており、しかもキリスト教世界なら「神の子」はイエス・キリストその人しかいないため事実上①の「神の子孫系貴種」は存在しません。英雄の子孫が王朝を形成することはありますが、西欧全土の王族じみていたハプスブルク家ですら元をたどれば弱小領主です。

神聖ローマ帝国の皇帝をはじめとしてカトリック国の王位は教会から得た神の承認を権威の根拠とするもので、貴族の爵位にしても日本の華族があったころのように「家系」に与えられるものではなく治めている領地という「役職」に与えられるものです。要はその立場を認められるから貴いのであって、生まれつきの血には本来特段の価値はないという考え方です。もちろん身分の世襲が固定的になってくると生まれつき貴い生き物なのだ~みたいな勘違いが生まれてくるのも当然のことですが、基本承認制なのです。その貴族の勘違いを描いた代表的名作『銀河英雄伝説』でも、銀河帝国皇帝フリードリヒ4世が「500年ちかく続いた王朝が滅びるのは不思議ではないのだから、力のあるものが簒奪するならすればいいのだ」という見解を示しています。

 話を東洋に移動させて、中華文明の「天子」「易姓革命」にもこの承認制の考え方はあります。中華文明の皇帝は「天子さま」と呼ばれるわけですけど、エジプトのファラオ(これは①に近いです)のように実際天の神となる肉体や精神を持っているわけじゃなくて「地上における天の代理人」として天の承認を受けているという設定を持った人間なわけです。これを天命といいます(天に代わって地上を治めること以外にもさまざまな人間にさまざまな天命を天は下します)。

十二国記』でも「麒麟の承認」や「失道」として描かれているのですが、古くは天命を失った殷の紂王が周の武王に倒されて新たな国新たな王朝が立った(易姓革命)ようなことがあったりして、天命は失われたり移動したりよりふさわしいところにポッと出現したりするのです。

 

 こうしてみるとドラクエ11の主人公は勇者ゆかりの国の王子という生まれながらの貴種として生まれて流離譚しながらも、「勇者ローシュの生まれ変わり」としてさだめのアザをもって生まれてきたことに特に血筋的な必然性はなく、さらには物語の後半で一度は奪われてしまった一部の先天的勇者パワーを勇気の心を示すことでふたたび取り戻すなど、①と②をいい感じにブレンドしたスーパー主人公となっています。

 

伝国の玉璽、あるいは「源氏の流れ」

毒沼からロト

 さて、話をドラクエに戻しますと。

 ドラクエⅠで一番考えてたのと違ってマジかよって思ったのは、「勇者の血筋の若者が」って話なのにどこも出来レースじゃねえってところです。王様からロトの勇者の承認を受けてお姫様を助けたり竜王を倒したりしに行くでーって言ってるのに街を歩いてるそのへんの戦士が

「おまえがまことのロトのしそんならばそのしるしがあるはず。

 なにかしるしになるようなものをもっているのか?」

 カーーーーーーッ!!!!! ペッ!! それがアンタ、勇敢なほぼボランティアに対して言う言葉かよォ! しるしがないからってなんやっちゅうねん! わかる人にはわかるわそんなん!

 とか思ってたら重要アイテムくれるらしいほこらの賢者的老人にも「このしれものがぁ!」っつって追い返された……。

 いや……え……ひどい……。(プルプル)なんかキーアイテムを手に入れてから行くと話が進むっていうゲームのチャートとしては理解できるしおもしろいけど普通に世知辛い……。

 こいつは面白くなってきやがったぜ。

 つまりロトの勇者であるしるし的なアイテムがどっかにあって、それを取ってくることでこいつらのナメた態度も変わるってことだな? オーケーオーケー……と思ってたらなんか毒の沼地で拾った。

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

ドラゴンクエスト 1/1ロトのしるし

 

 

 えええ……。ばっちい……。それ誰かがここで死んで落ちてるでしょ……。べつに沼で人が死ぬことは珍しくないけどおそらく金属?だよね?が沼からひきあげられるってヤバない? 浮いてくることなくない? 実は木彫りとかなんじゃない?(デルカダールメイルに続き二回目の木彫り説)

 ややブーイングしながら手に入れたこの「ロトのしるし」なるアイテム。

毒沼の真ん中で手に入ることから、
●A.「不思議な力で浮き輝いていて発見された」
 B.「沈んでるのを偶然『なんか足にひっかけたな』て手ェ突っ込んで引き上げた」
あたりのパターンが考えられる。

●Aパターンの場合は不思議な力でキレイキレイだが、
 Bパターンの場合は金属が腐食している可能性があるし、少なくとも拾った瞬間はなんだかわからない

●Aパターンの場合は来歴はよくわかんないが、
 Bパターンの場合は前の持ち主の方がお野垂れ死になさっている。

で、どっちのパターンに近いのかは、ドラクエ「そこんとこはご自由に」システムなので、「あしもとをしらべた!」「ロトのしるしをみつけた!」しか言われない。

 これを所持していれば、もくろみ通りナメた態度は改まったわけですが、おまえ、こんなん、誰が拾ってもへつらうんかい、この俺がロトの子孫であるなんの合理的証明にもなっとらんぞこれ。俺んちの蔵で見つかったわけじゃないんだから……。

しかもおまえら本物のロトのしるしがどんなんか見たことあんの!? 俺はなかったけど!?

 ロトの子孫、アナスタシア皇女のニセモノみたいにワラワラ世界中でわいて出てもおかしくないやつになってきました。実際今までにも複数の勇気ある若者が旅立っていったみたいですし。

 

廃井戸から玉璽

 これと似たストーリー展開を、『三国志 破虜伝』にみることができます。

吴书曰:坚入洛、扫除汉宗庙、祠以太牢。
坚军城南甄官井上、旦有五色气、举军惊怪、莫有敢汲。
坚令人入井、探得汉传国玺

(引用者訳
呉書にいわく、
孫堅は廃墟となった洛陽の都に入城すると、漢の祖先をまつる廟を掃除して丁重にまつった。
孫堅軍は城の南の「甄官井」なる井戸のあたりにおり、夜明けにその井戸が五色の気でかがやき、みなおどろき怪しんでけっして水を汲もうとしなかった。
孫堅が命じて部下に井戸に入らせてみたところ、伝国の玉璽を探しえた)

 孫堅という、生まれは田舎の弱小武家にすぎないがスーパー勇敢で能力のある英雄がいて、勇敢で能力があるので廃された都を一番乗りに保護するのですが、そこで偶然とかチャレンジ精神とかによって伝国の玉璽というキーアイテムを入手するというエピソードです。これは真偽はあやしめなのですが、有名なエピソードとして物語的には通説化しています。

この「伝国の玉璽」というのは金や玉で作った皇帝勅許のハンコで、日本で言う「三種の神器」にひとしい「皇帝のしるし」です。孫堅の当時の雇い主である袁術という名門の坊ちゃんはこれを接収し、「玉璽を持ってるということは私が正統なる皇帝じゃね?」と名乗りを上げることになります。日本でもこういう「これを持ってるから正統性がある」ていう主張はありますよね、源平とか南北朝とかのときに。

袁術は袁家の者なのでどう考えても漢王朝の劉家の者ではないのに、その主張に影響力があるくらいですから、「しるしを所持している」ということはときに血筋に肉薄する正統性があるのです。

 「みつけた・できたということは天命があるのだ」という考え方は日本でも「ウケヒ」という占いに利用されており、説得力があるものです。『大鏡』の中の『競べ弓・南院の競射・道長と伊周・弓争ひ』を見ると、

 また射させ給ふとて、仰せらるるやう、
道長が家より帝・后立ち給ふべきものならば、この矢当たれ」
と仰せられるるに、同じものを中心には当たるものかは。次に、帥殿射給ふに、いみじう臆し給ひて、御手もわななく故にや、的のあたりにだに近く寄らず、無辺世界を射給へるに、関白殿、色青くなりぬ。また、入道殿射給ふとて、
「摂政・関白すべきものならば、この矢当たれ」
と仰せらるるに、初めの同じやうに、的の破るばかり、同じところに射させ給ひつ。

まあ要するに神仏に向かって「俺が天下を取る者ならこの矢よ当たれ」「この矢が当たったならそれは俺が天下を取るということだな」と判定を仰いでいるわけです。矢が当たった通り道長が宮廷の覇者となったことはご存知のとおりです。

 しかも、袁術ではなく孫堅の話であれば、「廃された都に一番乗りをして漢王朝の霊廟を保護したてまつったら、近くの井戸が輝きだし、皆が恐れているばかりのところ探索してみたら玉璽がみつかった」わけですから、まさに行動とラッキーを兼ね備えており、これは孫堅は乱世をどうにかする天命を受けた」と解釈することもできるわけです。

 「探得汉传国玺(国璽を探すを得た)」、探すことができたとはそういう示唆もある表現です。

 

「源氏の流れをくむ」

 さらに「俺が勇者ロトの血筋かどうかなんて全く証明できてないじゃん」に関してはこのような例もあります。

 ご存知江戸幕府創設者である徳川(旧姓松平)家康は、朝廷の許可を得て松平から徳川に姓をあらためるのですが、これは秀吉が「豊臣」というゴージャスな新しい氏を創作したのとは違い、もともとあったけど絶えた親類筋の「得川」という氏に復姓(継いだ)ついでに字を変えたという扱いのできごとです。

しかしぶっちゃけその得川氏というのははるか鎌倉時代に本流が消滅しており、松平家との関係もいまいち明らかでないというか、根拠として提出された系図もなんかもうタテマエみたいな感じでした。なんのためにそんなことをしたのかというと家康とその直系に清和源氏の血統書を加えるためです。

 「自分は由緒ある名家の末裔なのだよ」という血統書の捏造はこの時代わりとカジュアルに行われていて、信長とそれにならった秀吉もおおもとの血族の名乗り(本姓)として「平」を名乗っています。信長は花押とかサブ家紋とかの紋章にもちょうちょ(平氏の象徴である揚羽蝶紋)を使っていますしね。

 家康の場合本姓として「藤原」を名乗ったこともあり、つまり時勢によって都合のいい古氏を借り受けて名乗ってるわけですね。それをなんで清和源氏に鞍替えしたのかというと、鎌倉時代はもちろん、室町時代足利将軍家清和源氏の古い名家であったからです。つまり朝廷に征夷大将軍に任じてもらう地盤固めとして源氏の流れをくんでいることにしたというのがおおむねの説です。

 何が言いたいかっちゅうと。

 功績のある者は出自くらい捏造して認めてもらい、

「そうだったのだよ」ってことにできるってことです。

 

 尋常でないところから「それらしいもの」をみつけて戻った、

すごい力をつけた若者に対して、

世界は「あれがそうかー!」って言うしかできないでしょ。

 本物の「それ」を誰も知らなくても、「それらしいもの」は天命を受けて「それ」になるのです。ものでも血統でも。

 

勇気を胸に、いかずちを手に

 さて、長くなってきたので「"ロトの子孫"とは誰か」の内容を前後編に分けて、今回は貴種と天命についての話ということでこのあたりで終わりたいと思います。

 後編では「勇者」の定義とされる、

「勇気あるもの」

「しるし」としてのロトのしるしに着目して話そうと思っています。